父の日
今日は父の日。別に何をするでもないが、一応父の日母の日はLINEでメッセージを送るぐらいのことはしている。
父との一番の思い出はなんだろうと思い出すといろいろあるが、初めてプロ野球を見た日のことはよく覚えている。
1997年8月23日(土)。島根県松江市に住んでいた当時小学4年生の自分は、父の職場のプロ野球観戦ツアーに参加するため、観光バスの座席に座っていた。
父がゆるいカープファンだったので、なんとなく野球ならカープが好きかなという程度だった。前年1996年の終盤戦ぐらいだったと思うが、ウルトラマンを見終わったあとになんとなく変えたチャンネルでやっていたプロ野球の試合に引き込まれてからは、島根で放送される数少ないカープの試合中継を何よりも楽しみにしていた。
1997年8月23日(土)お昼。父の職場のすぐ横で観光バスに乗っているが父親が来ない。四六時中かぶっていたカープのメッシュキャップの僕少年は、不安げに外を眺めながら父親の到着を待っていた。10数分後、土曜日午前中で終わりの仕事が少し長引いていた父がやってきてバスは出発。当時は尾道松江線はおろか、山陰自動車道もまだない頃。松江から約4時間程度をかけて広島へ到着した。
夕刻の広島市中区基町は、それまで山陰という地域の中の世界しか知らない少年からすると、圧倒的な大都会だった。立ち並ぶ高層ビル、行き交う人々の多さ。すごいルーズソックスのギャルがいたのもなんとなく覚えている。父に「なにか一つグッズを買ってやる」と言われた僕は、応援グッズでもないのに金本知憲の下敷きをチョイスした。
球場に入るとそこはテレビの中で見たことのある、テレビの中でしか見たことのない世界だった。試合開始を待ちわびて応援歌を合わせるファン、試合前の練習で汗を流す選手たち。内野2階の指定席につくと「こういうのは試合が始まる前に食べといたほうがいいんだ」と父が弁当を渡してきた。まだお腹減ってないのになぁと思いながら食べた。
試合が始まってからのことはしっかりとは覚えていない。覚えているのはヤクルト飯田が打ったファールボールが自分のすぐ横に着弾したことと、江藤がホームランを打ったこと、そして僕以上にはしゃぐ父の姿。でも、すこしオレンジがかった市民球場の照明が、その後の僕にとってはとても重要でかけがえのない興奮と思い出を残してくれたことを何より覚えている。
その後、大学進学を機に念願の広島へ来て、カープの試合をたくさん見に行き、それだけでは飽き足らず、いろんなチームがひしめくこの広島という街でいろんなスポーツを好きになった。その原点がこの日にあると僕はずっと思っている。あの時「広島にカープの試合観に行くか?」と誘ってくれた父よ、ありがとう。
父と野球を見に行ったのはこの日のあとほんの片手で数えるほどしか無い。数年前、マツダスタジアムにも一度だけ来た。腰の持病で長時間の移動がなかなかできなくなって、気軽に広島まで来るのも今は難しいが、もう一度でいいから父と球場で野球を見たいなと思う。
そんな父の日。