雨にもマケズ
あれこれ当たってはいるのですが、やはり私がタイ語ができないのがネックになっていて獣医師を見つけるのに苦心してます。
最悪現地パートナー(タイでは外国人が単体で会社を設立できない分野がたくさんあります)が薬局の法人なので薬局からスタートするかなーとも考えてはいますが。アシスタントはFacebookページの求人にもちらほら反応があるのですが、タイ人の高学歴者はタイ企業で雇用が基本的には完結するので英語の求人は見ないんだと思います。
バンコクはネットワークがと、て、も!狭く、
おかげさまで紹介、紹介ですでに早く開けてほしいと何人かの方からありがたいお言葉もいただいており、
(そもそもテナント兼自宅のお隣に犬が7匹いる、
そして遠目にも1匹は皮膚病があり
いつ開くの?と聞かれる)
またいろんなことが背中を後押しし始めたので
ここは腹を据えてとにかく開業に持っていきたいなと猛烈に思い始めました。
来月から子供達諸事情で転校することにしたので、
なんだかやはりいろんなことが「安定」とか
「落ち着く」気配を見せない私の人生。
占い師が「老後は幸せで穏やか」と言ってましたがもう老後とかいいからこの劇場型の人生からは子育て終わったら降りたい。子供達が自分の足で大地を歩き始めたその瞬間に来世が始まってほしい。
なんかすごいいいやつ、しかも。
淡々とオンラインセミナーなどは時間が許す限り出て臨床の今をフォローアップしたり
予防医学の新しいアプローチなどのアイデアをめぐらせたりはしていて、
潜在的な顧客と話したり、臨床に触れるにつけて
臨床復帰への気持ちは高まります。
東京で開業していた時とは全く違うアプローチでの臨床復帰にはなりますが、お役に立てることで、また得意なことで仕事をしたいという強い気持ちは変わりません。(事務仕事は次の事業では私は絶対にチェックしかやらないw
とりあえずVISAだけとって
一度帰国していろんな体制を整えてからタイに戻るつもりだったのがこんな世界になってしまい、
日本の銀行のいくつかにログインできなかったり、
免許が切れてしまっていたりまあちょっといろいろけっこう多分はたで見るより大変なワタクシ、
タイの日本人経営者にもすでに何人かご縁をいただいてお会いしたのですが
もうこういう方々は地盤があるので問題解決能力も高く、私はまだまだいろんなことが力不足で不便に生きていて不甲斐ないなと感じたりも。
少し前に経営論について触れましたが
その後、例の早期リタイヤファミリーと先日時差12時間にもマケズ2時間もライン通話したのですが
(耳が熱くなったから次回はzoomにします)
彼はいま仕事はしてなくてもやはりすごく活発に脳を使ってて、相変わらずとてもスマートで、
いつか一緒に何かやりたいねと言ってくれたので
追いつけるようにがんばりたいと心から思います。
さて。経営論に戻ると、私が社会科見学で参加しているオンラインサロンがあるのですが、そこで「組織とはそこにいる全員が一定の生産力を持つ事」的なことを言ってて、(うろ覚え、違ったかな??)
大なり小なり営利組織とはそういうものに帰着するのかなとなんとなく思いました。
ぱっと見非情に見えるようですが、存在しない精神論や絆論よりも明確です。
働き蟻が2割では組織は成り立たず、扶養家族に給料ははらいませんよと、当たり前ですが。
戦後の日本の高度成長を支えたのは終身雇用制度で
もはや就職とは結婚で、一度就職してしまえば一生食えて人並みに生活ができ、逆に言えば企業は人を雇ったら一生食わせてやる必要がありました。
マニュアル化された仕組みの中で限定的な仕事をそれぞれかしてもそこそこ稼げた時代もあり、そのわずかな余裕にあぐらをかいてさらに稼ぐ努力ではなく、監視を目的とした複雑で生産はしない工程が無数に増えていったのが日系の大企業病と呼ばれるものの正体なのでしょう。
少し脱線しましたが
その時代は日本人の道徳意識も今のそれとはかなり違うので従業員はそれこそ会社を「ファミリー」として貢献を厭わず働き、(というと語弊があり、貢献するに値する見返りが企業からあったということ)経営者は社員を「家族」のように守ったんだと思います。
また、税金が潤沢だった時代では厚生年金制度など非常に機能的だったし、金融商品も今とは比べ物にならないほど高利率で、(10年おいたら倍になってた)退職金積み立てなども組織もやりやすかったので、個々の企業が十分な福利厚生を社員に提供しやすかった背景もあります。
時は流れて、終身雇用はほとんどのケースで破綻し、副業や子連れ出勤まで国が推奨し始める事態にあっては、(タイでは屋台とかでよく見ますけど、それをオフィスワークですら推奨する異常事態)綺麗事は通用せず、組織は稼げる人しかいらないし、雇用者は1円でも同じ仕事でもらえる会社を探して転々とするようになりました。
無い袖は触れないので、組織の中にゆとりはなく、組織内に有事に対する備えがないため、イレギュラーに対する備えは自分でしておかないと有事の時は裸でも放り出されます。
血縁でいうところのファミリーは(それもゆとりがあればですが)有事の時は手を差し伸べてくれるかもしれませんが、組織というファミリーにはそういったものは介在しません。いやむしろ、なくなったのは社会的な仕組みや余力だけで、組織の意識はもともと「稼げない人には一円も出さない」ものだったのかなとも。
つまり、気にかけてるよーという「言葉」はかけても、使えない奴には一円だってお金は払いません。
当然の成り行きとして従業員側は帰属意識は薄く、経営者側も使えない奴は会社組織からはすぐに外す。のたれ死んでも手は差し伸べない、そこにあるつながりは双方のメリットの一致であり、ドライ。
会社組織とは、企業理念や想いに共鳴することも多少はあるのかもしれないけれど基本的にはそれぞれのメリットの取り合いであると。
つくづく感じるのですが、人間誰しもが自分がかわいく、自分のためなら他人の人生詰ませるリスクだって平気で簡単に取れます。それは良いとか悪いとかではなくて人間だもの、で回収されます。性善説とか性悪説とかも不用の、「人間だもの」です。
私はおかげさまで人をけおとしたり、その人の積んできた信頼を不当に貶めてまで自分を守らないとならない状況になったことがないし、多分どんな場面でも自力で這い上がれてきたから、これからもそういうことをしなくて済むんだと思います。
なので良い組織とは!とか永く続く組織とは!
とか従業員が幸せな組織とは!
とか
あまり深く考えずに、まずは実現したい医療の形をどう私が1番やりやすく実現していくのかを考えていこうと思います。それを言い出すとひどく優しさに欠ける人のような印象を与えてしまうのではないかと、綺麗事で飾るよりも、シンプルにできないものはできないと線引きをしようと。
タイ人はすぐやめるのなら、定着率がめちゃくちゃ悪くても私が全役やる以外の方法で維持できる仕組みを初めから工夫する、今はテクノロジーもあるのだから、私にはできそうにない人事やマネジメントに心を折るよりも、工夫の女王になってやろうではないかと!
つまりGoogleやマイクロソフトを目指すのではなく、Netflix型の組織で新しい医療を作っていくのがさしあたっての私の出した答えです(モデルの話であって規模の話ではありません)
願わくば年内には見つかりますよう。
#バンコク起業家
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#世界の診察室をつなぐ
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