心の筋トレ
私はかつては気は強くとも非常に細やかに心を痛める繊細な少女(属性オタク)だった。
勉強も運動もよく出来た田舎の神童だった私は、親が理事長のカソリックの幼稚園に通い、親が校医かつ教育委員長だった幼少時から「特別扱いされる」自分に気付いていて、そのステータスを気に入っており、人からの評価がとても気になる子供だった。
親の七光り薄れた中学校からは、自分の「特別じゃない感」や(首相の孫などが通う学校だったので我が家あたりは底辺に近かった)女子校らしい陰湿ないじめにも人並みにでくわし人生初の胃カメラを中2でデビューしたのも記憶に新しい、わけがない(もう四半世紀以上前、エピソードしか覚えてない)
私の豆腐メンタル期は長かった。
転機は確か2つ目の大学3年生のころだったと思う。母の会社を手伝い始めたころで(とつぜん網膜前膜剥離になり、ふってわいたように手伝わないとならなくなった)、その時家庭内に病人がいたこともあり、大学の研究室との両立や大学の友人との付き合いの両立その他もろもろに破綻して、電車で1人になった瞬間や、大学の保健管理センターでとめどなく泣いたりし、自分の経験や学力がまるで役に立たない事実に憤慨し、濁流に毎日がながされているような感覚だったのをこれまたうっすらだけど覚えている。ストレスで薬疹のような肌荒れが起き、生きるのが嫌だとか死にたいとかいう積極的な絶望も感じないほど疲れた。そして1年後、できたこともできなかったこともあったし肌荒れの痕は残ったけど私は五体満足に生きていた、文字通りの開眼だったと思う。
なーんだ、あんなに苦しんだのに1年経っちゃったよと。
それから30歳で一等地で開業したりいろいろいろいろあったけれど、この時の原体験がいつも私のベースにはあった。どんなにつらくても「どうせ気に病んでも病まなくても時間は過ぎるから考えずに寝る」ようにした。
さて、人生はよく河に例えられるが、チャンスは河に絶妙なリズムで流れてくる船のようなものだと思う。気をつけて飛び乗らないと落ちるし、怖気付いて乗らなければ今の船のまま。「生き方」をさぼってると船が通り過ぎるのも気付かないし、鈍ってるから飛び乗れない。
そして見送った船は二度と来ない。
私は(多分)大きい方向性では人生最後の船の乗り換えを計画している。
次の船にもその次の船にも一緒にいるはずの子供達のために、明るい未来のための大きな乗り換えを無事に終えられますように。
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