私は1人目の出産の時に同時に当時自営の店舗移転を行いました。
どちらも普通は消費するエネルギー的には一生に一度(高齢の初産という意味では一度きり)のイベントだと思うし、重ねようとは思わないとおもいます。実はあまり威張れる状況ではありませんが、破水の日まで業者とミーティング入ってましたし、助産院には業者打ち合わせに来ました。
今やってる仕事は若干仕事内容が重なっていて、というか同じ分野ですが専門性はかなり低く、作業内容はシンプルです。が、私の移転作業のたぶん半分以下の作業の新規店舗オープンを、今の会社は豪日合わせて意思決定者まで合わせると15人くらいで3年かけてやってます。
私はほぼ意思決定から実際の作業までほぼ私1人、プラス当時の社員でたったの2ヶ月で倍以上の作業をやったことになります。
ちなみに既存店舗の方は、過去5年の中で最高、ではなく、過去5年分の合計の実績に並びそうです。
しかも過去5年のマネジメント時よりもはるかに大きいハンディからのスタートで。
このメモの目的はおいらすげーだろの自慢ではないです(嘘です、それももちろんある。
率直にいえば私の実力はそんなにすごくないし、やったこともそんなに多くない。
その事実に対して今は良いとも悪いとも、感想や考察、現段階での帰着は、自慢とは別にありますが、今は公開する時期ではないと思うんだけど、いろんなことを考えた証の、このメモは備忘録です。
私の肩書きは(一応)一部上場企業の駐在員、になり
自営業の頃はそこはかとなく憧れたそのポジションにいざついて見ると、
やはり想像は所詮たたの妄想だったんだなと、
過去の人生で何度も繰り返して来た感想を持つにすぎません。
私は自身の経営していた会社は、私1人が抜けたら崩壊する、組織としては失敗作だった自負があり、どこにもたどり着かなかった敗北者感がありましたが、
組織作りがいかに難しいか、私みたいな世間知らず、あらゆる角度で力不足のヤカラが失敗したのは当たり前であったと考えます。
結局中小規模以下の会社は個人商店のマネージメントの応用で、組織になることは難しいけれど、逆に言うと経営者さえ現場に出ていれば経営は成り立ち、マネジメントの苦労があった気がするけれど苦労のうちに入らなかったと、それなりに色々あったし、進行形の時は本当に削れたけど、今思えばただのハナクソ。
ある程度からはお金出す人と現場は乖離していき、組織化にはかなり高度なスキルを要するようになっていくのだと、考えさせられることの多い1年でした。
お金を持った時に、何を節約するのが最も利益を上げるのかの判断、
この一言に尽きるのですが、大きくなるとわかりにくくもなるものなのかもしれないです。
経験は全て人生の伏線なのであとでこの経験がどうつなかっていくのかなと。
けっこう張り切って作った夕飯を、少し重ためのアフタヌーンティーのせいでほとんど口をつけてもらえなかった、そんな日に。
(このメモ書くのにキッズの妨害にあい丸2日きかりました、
子供が居る場での作業効率の低さよ。。
#年子育児
#オーストラリア駐在員
#海外育児
#バイリンガル育児
#トリリンガル育児
#ワーキングマザー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?