幸子、実父に逢う~わたしの祖母の物語⑧
年頃に成った妾しに兄は、「お前はおれの妻になるのだ」と人様の前でいいます。
父もその気でゐるらしいのです。
妾しは嫌で嫌でたまりません。
いやな兄、面白くない家、つらい立ちばの母、何も彼もいやになった妾は育ててもらった、恩ある祖父母、やさしい叔父夫婦の事も忘れて家をとび出して旭川行き、女弁士としてたべて行く事になりました。
一年ぐらいたった時、父が妹をつれてむかいに来たのです。
帰らぬつもりの妾しも妹に泣かれて帰りました。
妾しが祖父と二人で野付牛に来てから、弟一人妹二人生まれ七人姉妹となりました。
その中に父方の叔父夫婦と祖父母は美幌に行き劇場をやり祖父は死に兄は小林病院に入院してしまいました。
二階の表の二室は妾しで裏が妹ローカの向側が弟たちの室でした。
夜は舞台にひるわ習物でいそがしい毎日がつゞくうちに兄も病院でなくなり、妾が廿になった時、父は浅田との結婚ばなしを出しました。
妾の祖父母ははんたいしましたが、母はしませんでした。
そして浅田一緒に成った妾しに浮気な父へんな目をむける様になりました。
母はまだ小さい弟や妹で大変です。
上の弟は音楽を手つだいボックスにはいり、妾はおとなしい母をたすけながら舞台に立って忙しい毎日でした。
母は口ぐせに東京の父に逢に行く事をすすめました。
新結婚遊行をい事に妾しは父に逢いに行く事にしました。
東京の本所柳島で電車ををりたらすぐに病院の看板が目につきました。
病院の前に立った時、院長石坂幸益と書いた表札があります。
それを見た妾は足がすくんで中に入る事ができません。
その日はそのまま帰り、又あくる朝出かけ、思い切って受付に北海道から来た事をつげました。
まもなく奥さんが出てきて「幸子さんでせう、よく来て下さいましたわね」と案内して、長い長いローカを通って中にわのあるざしきに通されました。
浅田は妾しには目をパチクリさしていますと、若い女の人がお茶をもって来て「今、先生がおよっていらっしゃいますからもう少しお待ち下さい」と云って出て行きました。父はまだねてゐたのでした。
しばらくするとローカに足音がしてエヘンと云ふ咳きばらいが聞へたとたん、妾しは大声を上げて泣きました。
たゝみに顔をおしつけて泣いゐる妾しの肩に手をかけて「よく来てくれました。大きく成ったね。苦労をしたらう。許しておくれ」とこれが父の初めの言葉でした。
●やしながら頭を上げて見た父の顔にわ涙が光ってゐました。
頭は七三にわけ、金ぶちの目がねをかけやさしい顔の人でした。
妾しが廿五の子ですから父は四十五才でせう。
おくさんも浅田も皆んなの顔が涙で光っておりました。
妾がいつまでも泣きじゃくって居りますと「もういゝ此れからは何も心配する事はないよ」と廿にもなった妾の顔をなでゝくれました。
そして浅田に向い「此ん後は貴男の力で幸にしてやって下さい」と頭を下げました。
浅田からは「必ず幸にします」と答たへがでました。
※ほぼ原文ママ。
※句読点は読みやすさを考慮して追加。
※写真はイメージ。
【登場人物】
妾し(幸子):この物語の主人公。T.Yamazakiの祖母
ノヱ(小野ノヱ):幸子の母。
楯身(楯身友蔵):幸子の養父。
小野康太郎:幸子の祖父。
ノブ(小野ノブ):幸子の祖母。
武士(小野武士):幸子の叔父、ノヱの弟。
浅田(浅田民雄):小野康太郎が建てた有楽座で働いていた活動弁士。T.Yamazakiの祖父
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