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大学を辞めていきなりドイツに行った話
子どもの頃から自分は芸術を学ぶために海外へ行くものだと思っていた。
実家のクローゼットを掃除していたらNHKの「月刊ロシア語講座」の本を見つけた。2003年と書いてあるから10歳の頃に買ったものだ。
買った時のことはよく覚えている。
その頃は兄と一緒にバレエを習っていて、夏になるとロシア人の先生の講習会に通っていた。
バレエダンサーになりたい、なれる、とは全く思ってはいなかったのだが、親から
「好きなことを仕事にできることが1番幸せだ」と言われていたのでその時の唯一の習い事だったバレエが自分の中で漠然とした目標だった。
「バレエをやるならロシアに行く」
とインプットされていたので、なんの意味もわからないのに限られたお小遣いの中でロシア語入門の本を買ったのかもしれない。
子どもは頭が柔らかいので、講習会でロシア人の先生が話して通訳を聞いてということを1週間繰り返すと決まったフレーズなどは理解できるようになっていた記憶がある。
その頃によく英語を勉強しておけばよかったなと思う。
「何か夢中になれるものを見つけ、それで生活できるようにすること」
「海外にいくこと」
という2つは子どもの頃から常に頭にあり、普通の大学に行って働くという想像はなかった。
11歳の頃トランペットに出会いやってみたいと思ったところ、近所に住んでいらっしゃった神代修先生に習えることになった
先生はウィーンに留学されていたのでウィーン時代のお話をよくされていた。
その影響もあり「トランペットでドイツがオーストリアにいく」と思い始めた。
そして中学生の頃にバレエを続けていた兄がサンクトペテルブルクのワガノワバレエアカデミーに留学した。
兄はその後カナダでも勉強していた。そこでの苦労を聞いて成長を見たら自分もその経験をする必要があると思った。
2012年に東京音大に入った。
同級生には上手な人がたくさんいて、先輩方は特にハイレベルだった。今も活躍されている方ばかり。
アンドレ・アンリのグループレッスンで彼の音を演奏を聴いた時はとにかく衝撃的だった。中3でオーレ・エドワルド・アントンセンのリサイタルを聴いた時以来の感動。
ヨーロッパに行ったらこんな人ばかりいるのだろうか
とワクワクするような、あまりの次元の違いに尻込みしてしまうような気持ちになった。
アンドレから伝わる「フランスのアイデンティティ」というものはすごかった。
これがもちろん「アンドレの音楽」なのだが1つ強いものが根底にあるのが感じられる。
日本人が西洋音楽をトランペットでやる場合、基本的にその音楽は全て自分の根底にある価値観や文化からはかけ離れている。
アンドレがワーグナーを吹く時はそれはあくまでフランスなのだけれど、そこには動かない説得力がある。
その時自分にはそういった確かな価値観はなかったし、それは時間が経てば得られるものではないのではないかと思った。
やはりヨーロッパの言葉を話し、その文化と価値観を理解しなければ
「ドイツ"っぽく"演奏しようとする日本人」
「フランス"っぽく"演奏しようとする日本人」
になるだけだと強く感じたのだ。
そして
「ドイツ人がフランスの音楽を演奏する時はどうなるのだろう」という興味も湧いた。
ヨーロッパに行けば狭い地域にたくさんの文化が密集しているから、そういった文化を知ることができるのではないかと考えた。
夢はオーケストラのトランペット奏者になること。
フランスはオーケストラ文化ではないと聴いていたし、オーケストラのことを学ぶならとにかくドイツだろうと単純に決めつけた。
ウィーンは外国人が働けるチャンスなどないだろうと最初から考えから外していた。
ドイツにはたくさんオーケストラがあるしオーディションも多いからチャンスがあるかもしれない。
という今考えるとあまりに無知で愚かな考えだが、とにかく行きたいと思った。
正直なところどこでもよかったのかもしれない。
自分の興味は
ヨーロッパがどんなところで
どんな人達がどんな暮らしをしているのかを知ることだったのかもしれない。
「留学したいです。」
と初めて神代先生にお話したら
「早く行くに越したことはないぞ。すぐにでも行ったほうがいい」
津堅先生にお話したら
「卒業してからじゃ遅いくらいだから行くなら今すぐにでも行きなさい」
アンドレにお話したら
「出来る限り若いうちに行ったほうがいい。日本の音大が幼稚園だということがわかると思うよ」
とおっしゃった。
信頼する先生方が全員同じ答えだったからもう大学を辞めて行こうと決めた。
しかし自分の実力に全然自信があったわけではなかった。
先生方がおれが海外でもやっていけると断言してくださったとは思わなかった。
両親も退学してドイツに行くことに賛成してくれ、援助もしてくれることになった。
なんて自分勝手なことをしているんだろうとは思ったものの、今行かずに結局卒業後も留学できないのだけは嫌だと思った。
やらせてもらえるだけやらせてもらおうということにした。
なんの苦労もないのだからただ自分が勇気を出せるか出せないというだけの話だった。
「もし浪人して受験してもどこの大学にも合格できないようだったら、日本で続けていたとしてもどの道オーケストラに入れるわけがない。むしろ辞めて別の道に進むのもきっぱりできるだろう」
とも思っていた。
無謀な挑戦は若い時しかできない。
2013年5月にフランクフルトへ行った。
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