誰にも負けないもの。
ついさっき、私は私が心底好きになった。
特に何をしていたわけでもなく、夜ご飯の準備をしながらいつものごとく考え事をしてただけ。
最近の私は生き生きしている。けど、その一方で悶々ともしていた。
大学院には進学をするけれど、長期インターンがしたくてエントリーシートを複数出した。
けど、どこも「残念ながら」の定型文。
正直に悲しかった。ポジティブの錯覚に陥ってたんだ。
今まで自分について考えたことはなかった。
自分がどんな人間なのか。何ができるのか。何が苦手なのか。何が好きなのか。
早期先行で就職先の決まった友達とたまたま話す機会があった。第一志望の企業に内定をもらった彼女は、「就活が楽しかった。」といった。
インターンの時点で苦戦している自分とは訳が違う。
彼女が勧めてくれた「絶対内定2022」
就活本だが、その著者はあくまで就活は自己分析をするいい機会だと述べていた。
最近私の中でホットな話題だった「自己分析」。これを機会に挑戦した。
私は高校時代に中高5学年で100人いる部活の副部長を務めていた。
大学3年時には、学園祭実行委員会で最も大きな局である企画局の局長を務めた。
それも世で言う未曾有の事態であるコロナ禍でだ。
この2つの実績を持って謎の自信に包まれていた私は、本を読んで一刀両断された。
この程度の実績をこなしている人間は五万といて、既に使われた内容の自己PR。
面接官は使い古しじゃなく、過去1を超える1番を求めている。
私は自分より能力の高い人々の中の過去1を超えるだけの自信と功績は持っていない。
それに加えて、
面接でアピールされる内容は、履歴書から予想済みであって、想定内の話は耳から流れていく。
と言っていた。
これはもうどうしようもなかった。
学祭にしろ、高校時代の部活にしろ、履歴書に書いてしまえば用済みの知ってる話。
新しさなんてものはない。
ここ数日、自分の強みについて考えていた。
全く他は思い浮かばなかった。
なのにさっき、急に心が躍った。鍋の蓋を閉じた時だ。
私は、自分に縛られないで、自分のやりたいことに挑戦することができるようになっていた。
高校生までは、自分の中で欲望があっても、もっともらしく何かしら言い訳をつけて、挑戦をしなかった。
・ダンスは友達に笑われたから向いてないだろう。
・部長は私の柄に合わない。やりたい人、向いてる人がやってくれる。
・大学の授業は興味があっても「難しいらしいから受けない。」って友達が言うからやめておく。
・大勢多数を敵にすることは自分の今後を大きく左右するから、意見は言わないでおく。
・周りの思っている自分ぽくないだろうから、やめておく。
だけど最近の私はどうだろうか。
・やってみたかったダンスをYouTubeを見ながら滑稽だけど練習した
・柄に合わないけど、挑戦してみたかったリーダーに立候補して学園祭を成功させた
・友達より卒業が遅くなってもいいから留学に行きたいって言えた
・ダメなことはダメだって、おかしいことはおかしいって伝えられた
・周りの人が知らなかった自分でいるのが楽しい
高校三年生になって、部活のゴタゴタから解放された。
そんな時に、もっと仲良くなりたいと思っていたクラスメートと仲良くなった。
彼女はいつもニコニコしていて、ルールにも自分にも囚われることなく、文字の通り"自由人"。
きっとその頃からだと思う。
私は自分の声に耳を傾けて、1歩踏み出す勇気を出し始めた。
「学生時代に最も頑張ったこと」
それは、勇気を出して自分の殻を破り、自分のやりたいことに挑戦すること。
重要だったのは、学園祭の局長をやり切ったことじゃない。
重要だったのは、弱い自分に立ち向かって、自分を変えたことだ。
"勇気を出せる自分"を知っている私は、今後も多くのことに挑戦できる。
胸を張って自分をアピールできる。
私は今の自分が好きだ。
自分のために頑張れる私が好きだ。
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