恋は盲目 だけど自分を見つめた
4/1に2年10ヶ月付き合った彼氏と別れました。感情を言語化することが苦手な私に3年の賞味期限と環境の変化は大きな壁でした。
同じ学科で同じ学祭委員で、すぐに仲良くなって、一緒にいて楽しく心地良い人でした。人望厚く、誠実で、少年のような人。
この人のことを悲しませたくない。守りたいって思ったのがきっかけで、告白されて付き合った。
週一で彼の家に行って、一緒にご飯を作って、学祭のミーティングにいくのがデートだった。幸せな予定だった。今考えると大好きだったんだろう。
約3年付き合って、コロナで会えなくて、寂しいって思った時もあった。
けど、ふときがついたのは、私はこの人がいなくても生きていけるってこと。
そこから「好き」をぐるぐる考えるようになった。
大学生になって数ヶ月で彼氏ができたが故、友達との遊びもそこそこで、出かけたい場所には大半彼と行っていた。それでいいって思ってた。
もちろん、友達と泊まりがけで出かけることがあった。
留学にも興味があって、数週間の語学研修にも参加した。
ストレスが溜まって、羽を伸ばすために一人旅もした。
私は温室育ちで、彼との外泊許可を親から得られなかった。
彼なしでの宿泊の度に会話に紛れ込ませて言われる「寂しい」「僕とはいけないけどね」「1人で行ったんだもんね」が負担だった。
相手の気持ちはわかる。というか、そいうふうになるのもわかる。
けど、私は彼なしで楽しめることを知ったし、彼のいない世界がいかに広くて魅力的なのかは前から知ってた。
婚約をしてない学生の男女に外泊許可を親が与えない。
それは親の愛であり責任だ。それくらい考えればわかる。
それを理解しきれない彼に不満を感じていたのも確か。
けど、私が好きなことをするのに、それに対して影を落とされるのが何より嫌だった。
そして、知らぬ間に彼に対する「負担」っていう感情が積もっていた。
外の世界に挑戦しにくくなってる自分に気がついた時、見えない背中の羽が紐で縛られてる窮屈感を感じた。
長期インターンや大学授業の先取り、ゼミの情報が一気に出揃った時があった。
私はパニックだった。1週間の時間が足りなかった。
私は自分の感情を感じられない分、コントロールできなくなる時がある。
急に爆拍して、自分だけじゃなく周りにも迷惑をかける。
から、無理のないように計画を立ててる。
結論から言うと、将来、勉学、貯金、恋愛の中で最も順位の低い恋愛を捨てる他手段が見つからなかった。
「たまに会う」ことも提案された。けど、今考えると私は恋愛に疲弊してたんだ。
会わなくても生活が充実していて、自分の中にあるか分からない「好き」を言わなくてはいけない。
癒しだった恋愛は無意識の負担に変わってた。
ここまで相性の合う人は今後会わないだろうって思ってた。こんなにいい人は今後出会えないだろうとも思ってた。結婚すると思ってた。
けど、そのことに囚われて今の自分を大切にできないのは間違いだ。
「恋は盲目」も構わない。けど現実から目を逸らしちゃいけない時だってある。
頭の整理ができてないまま約束通り彼に会いに行って、3時間で別れることが決まった。
4/1 嘘のような日だった。
4/1 それでも前に一歩進めたと思えた日だった。
素敵な日々でした。
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