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昭和の小牧は上街道・木曽街道(稲置街道)が中心だった

昭和40年代前半の小牧を振り返って

昭和40年代前半の小牧の思い出を辿ると、街の中心は上街道・木曽街道でした。この地域には、さまざまな商店が立ち並び、活気に溢れていた。

商店街の賑わい

寿司銀の本家は街道沿いにあり、その周囲にはサワムラヤやサワセイといった地元商店が点在。映画館もあり、少し歩けばジャスコも。ここにはアーケードはないが、商店街の賑わいは今でも鮮明に覚えている。

現在の小牧四丁目中の交差点には、大きなスーパーがあった。その近くにはビジネスホテル丸屋(丸屋旅館)があり、その前には和菓子屋が営業。丸屋旅館の隣には旧とら屋(プラモデル屋)がありましたが、現在は小牧原に移転しているとのこと

南下していくと、現小牧四丁目南の交差点の手前、右側には「松下」の看板跡が見える。ここはかつて松下薬局という店で、昭和52年当時、応時中学校の英語教師であった松下先生の実家。その隣には和風喫茶店もあった。

小牧代官所跡周辺

交差点を過ぎ、小牧代官所跡の横には佐野理髪店、よくお世話になりった。現在も南下した場所で営業を続けおり、2024年3月に小牧へ立ち寄ったさいあいさつに立ち寄った。
さて、小牧代官所跡の横の理髪店の前には銭湯があった、私が桜井に住んでいた頃、自宅に風呂がなかったため、よく通った銭湯。

さらに何かした左手には現在「和」という看板の建物があり、その周辺の両側にお菓子屋が並んでいた。お菓子や贈答品、ケーキを販売しており、当時はコンビニがない小牧では夜8時頃まで営業している便利なお店だった。

稲置街道とその周辺

さらに進むとエビハラ書店があり、その手前右側にはうどん屋があった。
三十番神宮の手前に今もある貸店舗(焼き肉福ちゃんが営業中)その建物は昭和40年からそのままの姿を保っている。かつては鶏肉屋(かしわ屋)などが入っていた記憶があるけど、すごいことである。

神宮を過ぎてすぐ左側には「でんきのサンワ」という建物があり、小・中学の同級生である稲垣くんの実家。その先の右手には市川模型店。
さらに南へ進むと、現在もある佐竹理髪店の先にはスーパーがあり、ここまで来ると商店は減り、住宅街が広がっていくようになる。

思い出の小牧

記憶の中には、映画館やさまざまな店が点在していた光景が浮かぶ。具体的な地図は描けないが、私の中に残る小牧の記憶をここに綴ってみた。


あとがき

今回紹介をした通り、ここが街道と知ったのは、最近になってからです。

昔は、この街道にはお店が沢山あり、人通りもありました。
2024年3月に歩いたのですが、、今は誰も歩いていない通りに変わってしまいましたね。

小牧の住宅エリアが大きく広がったことと、車主流になったからではないかと思います。

解説

この文章は、私が書き上げた内容を生成AIで整えました。
#自分史
#小説

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