小牧市桜井に移り 上街道のエビハラ書店と
幼き日の生活は、毎日が楽しい日々だったと思う。
母によると、寿司銀では女児ばかりが生まれる中、私は待望の男児としてこの世に生を受けたとのこと。
祖父は大いに喜んだが、母は「幼い子に過度な期待をかけるのは重荷になる」と激しく怒ったと聞いた。
この出来事が、その後の私の人生に影響を与える一因であったのかもしれません。
父は家を出て、桜井に住居付きの貸店舗を借り、味噌雑炊の店を開く。
営業は夜から深夜にかけて行われ、1階はカウンター席のみ、奥の座敷は両親の部屋で、私は2階に寝床を持っていた。
両親の部屋では、営業前に共に食事を取ることが常。
しかし、私の記憶に深く刻まれているのは食事そのものよりも、デザート。
貧しい暮らしの中で唯一の楽しみだったお菓子、それはパンの耳に砂糖水をつけて食べることだった。
そのパンの耳を口にしながら見たテレビ番組は、アポロの月面着陸の映像。その記憶の次に浮かぶのは、母と共に最寄りの「エビハラ書店」へ歩いて行った記憶がある。
月面着陸が1969年の出来事なので、私は当時4歳。
この書店で何かの絵本を買ってもらったことは、今でも鮮明に覚えている。ちなみに、エビハラ書店は今もなお、同じ場所で営業を続けているとのこに驚く。
エビハラ書店は上街道沿いのお店。
実はここの斜め前にうどん屋があって、卵とじうどんを出前で注文した覚えがある。
貸店舗の隣には写真現像屋の「アカネフォト」があり、こちらも今なお営業を続けている。実は、2000年頃に挨拶に訪れたことがある。
(当時は3から5件ほどに連ねる貸店舗の一部屋だった)
桜井のお店のお勝手口を出ると裏手には廃院となった病院といくつもの墓場が広がっていて、かつての桜井のこの地域は墓場だらけで、現在ではその面影を見つけることない。たぶん今住んでいる方はここが墓地だらけだったことを知らないとおもう。
ところで、裏手の病院には野良犬が多く住み着いており、私はその野良犬たちと親しく遊んでいた。
その様子を見た両親は、近所から一匹の雌の雑種犬「チビ」をもらってきて、私たちの家で飼うことになる。「チビ」はたくさんの子犬を産み、引っ越し先の北外山まで共に移り住んだが、当時の犬は放し飼いであったため、車にひかれてしまった。(享年十二歳)
桜井の近くには「キクヤさん」というクリーニング店があり、そこの兄弟とは兄弟のように親しくしており。また、その先の会計事務所の奥に住む子供たちともよく遊んだものだ。
幼稚園に通う前は、地域の子供たちと犬と共に遊ぶ毎日が新鮮で、本当に楽しい毎日だった。
昭和44年頃の桜井での思い出は、すべてが新鮮で、毎日が冒険の連続だった。
あとがき
この頃から少しづつ記憶があります。
桜井の時は相当貧乏でしたが、お金がなくても楽しい毎日でした。
父はとても厳しく、言う事を聞かないと体をしばられ押入れに閉じ込められていました。(良し悪しは別)
2階にひとりで寝ていた記憶について寂しさはありませんが、チビという犬が時々2階にあがってきて添い寝をしていたことを覚えています。
話は戻すとお金がなかったのでお菓子が買えない。いつもお腹をすかせていたのですが、友達や近所のおばちゃんに何かもらっていたような記憶がかすかにあります。
上新町の繁華街とはことなり、県道沿い(旧国道41号線)は人通りも少なく日中は静かでしたね。
解説
この文章は、私が書き上げた内容を生成AIを使い整えました。
また書き上げた内容は日本を代表する文豪 夏目漱石風にアレンジをしています。
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