北九州の「出すぎた杭」が文化になった日
お金は稼ぐものじゃなくモテるもの
ともたけ@お金モテです。
週末をいかがお過ごしですか?
私は少し前から喉風邪?
をひいてしまったようで
変な声になってしまいました^^;
寒い日が続きますので
どうぞご自愛ください。
さて、先日、成人の日がありましたね。
我が家も娘がついに
二十歳になったのですが
本人いわく
「成人式(はたちのつどい)には
興味ないから参加しない」
ということで昨年11月に
アトリエで前撮りして
写真データだけを購入。
それを自前でアルバム化して
実家に届けてあっという間の
ミッション終了となりました。
それにしても子どもの成長は
あっという間ですね〜。
私が20歳になったときを思い返すと
今では全国的に有名になってしまった
北九州市の成人式に参加していましたっけ。
私は北九州で生まれて
中学までを過ごしたので
当時はこれが当たり前だと
思っていました(笑)
Googleで検索したら
出てくるようにド派手な姿が
成人式の伝統衣装で
ヤンキー?
珍走団(暴走族)??
ヤ〇ザの三下???
みたいな人が少なからずいるのですが
これが昔から北九州市では
当たり前なんですよ。
実際、白のロングリムジンで
成人式の会場までやってきて
「兄貴!お疲れさんっす!!」
と取り巻きのゴツいお兄さんたちに
頭下げられた間を
「おう!!」
と一言だけ声をかけ
二人の子どもを肩に乗せて
全身白の袴姿で現れた
成人もいましたしね^^;
元々、筑豊炭田が近くにあって
官営八幡製鉄所の創業とともに
栄えた鉄の街・北九州。
当然、そうした街には
「ヤ」のつく人たちが
集まりやすくなります。
私が卒業したY小学校の同級生は
2人もヤ〇ザ屋さんになってしまい
現在も塀の中でお勤め中と聞いています。
中学のときの同級生のひとりも
同じくヤ〇ザ屋さんの派遣社員になったら
クスリ漬けになってしまい、今でも
精神病院で暮らしていたりします。
その土地にはその土地ならではの
文化が宿るとはいいますが
私は高校の3年間は
愛媛県松山市で寮生活
大学以降は東京で
一人暮らしをしていましたから
北九州市外に出ることではじめて
・ド派手な衣装の成人式
・街を歩けばヤクザ屋さん
というのは当たり前ではなかったんだ
という当たり前すぎることに気づけたのは
とても大きかったなあと振り返って感じます。
自分の知っている範囲から飛び出して
少しずつ世界を広げていくことで
人生の可能性というのは広がって
より豊かになっていくものなんですよね。
そのプロセスのなかで自分にとって
必要だなと感じる文化を選んで
自分の人生にインストールしていく。
それが人生なんだと思う今日この頃です。
ちなみに、北九州市の成人式で有名な
ド派手な衣装の元祖が、地元では有名な
みやびというお店。
そのみやびは昨年なんと
世界4大コレクションのひとつ
NYファッションウィークに招待されて
ド派手な衣装をランウェイで披露して
「世界のエンタメ」として絶賛され
その様子がヤフトピでも話題になりました。
北九州市の成人式を彩る“ド派手”衣装
NYのランウェイに登場し大反響「世界のエンタメに」
「死んだらいいのに」「北九州の恥さらし」から手のひら返し…
ド派手成人式を支え続けた「貸衣装みやび」
海外ではヤンキー衣装ではなくアートとして評価
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f6e8ce0011044609ed60143c162e642ef2b9505
NYで北九州市のヤンキー文化が
ウケてるのがまた面白い(^^)
こうして文化って
広がっていくんですね〜。
出る杭は打たれがちな日本ですけど
信念を持ってずっと発信し続けていたら
いつか世界のどこかにいる
誰かの眼にとまって活躍の場が
一気に広がることがある。
そんなことを教えてくれているようです。
こんなことを言ったら世間の目が・・・
とか
こんなことをしていたら
周りにどう思われるかな・・・
なんてことばかり気にしている人ほど
もっとこうしておけばよかった
もっとやりたいことをすればよかった
もっと行きたいことろへいっておけばよかった
という後悔ばかりの人生で終わるのがオチ。
「いつか〇〇になったら」と
言っているうちにあっという間に
人生は終わります。
思ったほど人生は長くないですので
やってみたいこと
や
行ってみたいところ
があるのであれば
お金や仕事、時間や年齢を言い訳にして
先送りせず今すぐやりたいものですね。
本気で自分らしい人生を
後悔なく生きたいのであれば。