よりよい"学級経営"に必要な要素とは?
私は、今サニーサイドインターナショナルスクールで5/6年生の担任をしています。まだまだ、私の人生経験の中で担任は2度目ということで、この新鮮な感覚だからこそ感じられること、気づくこともあるのではないかと思い、敢えて新人目線でまとめていけたらと思います。今回のnoteのテーマは「学級経営」を支える必要な要素についてまとめていきたいと思います。
今回、このnoteを書こうと思ったのは今の自分が置かれている環境が自分にとって恵まれていることを感じたからです。学校文化の根底にあるのは「思考する文化」を「学校コミュニティ」の中で醸成していくことです。所謂、縦割り構造の中で、与えられた基準通りに組織が上から下に運営されてあるのではなく、スタッフ一人一人が試行錯誤しながら、対話と合意形成を通して学校全体で思考する文化をじっくりとつくっていくことを目指している、ある程度小規模な組織で実践できそうな考え方かもしれないです。
さて、今回は学級経営にフォーカスをしてまとめていくのですが、先ほど紹介した学校環境の中でよりよい学級経営をしていく上で鍵になりそうな要素をまとめていけたらと思います。
❶ 担任の信念(軸となる考え)
「そもそもよりよい学級経営とは何か?」
これについては、唯一無二の正解はなく、大切なのはどんな学級経営の方針をもっているのかを担任一人一人が自分の信念や価値観、知識、経験、スキルなどから言語化できていることだと思います。
子どもたちは良くも悪くも担任の目指している方向性に影響を受けると思います。また、担任の意図に影響を受けすぎて担任のカラーに染まっていくことも起こり得ると思います。意図を伝えすぎて子どもたち自身が試行錯誤するプロセスなく、身近な大人に染まりすぎることもなんだかモヤつくし、反対に意図がなさすぎてどこに向かってあるのか分からない学級も果たして学習する集団として言えるのか?今の私なりの答えとしては、担任は明確な意図をもちつつも、その意図を常々直接的に伝える必要はないのかなと。私のアプローチは、意図を文学作品の比喩のように、色々なアプローチをかけていく所謂作家のような存在なのかなとぼんやり考えています。文学を通して、読み手一人一人にとって色々な解釈が生まれるように、学級の子ども1人1人に色々な解釈が出てくるような、でも伝えたいメッセージは大きくは届いている感じを自分は目指しているのかもしれないと思いました。これによって、担任の意図を点ではなく点と点を繋いで面になっていくプロセスを踏むことで、共に学級文化とシステムを育んでいる感覚をお互いにもちながら前に進めるのではないかなと考えています。
❷ 担任一人一人の考えを尊重、信頼し合える環境
この2つ目は本当に大事な要素だと考えています。もちろん、前提として担任も学校コミュニティの一員としての責任とは何かを考えており、その学校で大切にされているカルチャーを尊重しながら、クラスづくりを行うベースは大切になります。私が今の学校で安心して働けるのは、こんな言葉を一緒に働く先生からもらったことです。
学校生活をしているとこんな状況はよく起こり得るのではないでしょうか?「◯◯◯先生はダメっていったのに、△△△先生は良いって言った。」そして、子どもは良いって言った先生に基準を求めるようになるから、学校全体としてルールは全て明確な共通認識をとった方が良い。確かに、共通認識をとった方がよい場面もあると思いますが、共通理解を目的として、全ての小さな事象において細かいルールを設定してしまうと、子どもたちはルールの先にある目的の理解ではなく、1つ1つの細かいルールの暗記の有無が行動基準になってしまいます。そして忘れていたが理由になりまかり通るようになります。例えば、安全を観点にしている事例で、グラウンドで競技は1つまでと決まっているルールにおいて、グラウンドで子ども2人がそれぞれ違う競技をしていたとします。この時に、「競技は1つまでだったよね!」という指導すると、子どもは状況ではなくルールだけを見て行動するようになると思います。大切なのは、ルールと状況を重ねてそこで安全の視点で適切な判断と選択ができるようになるといいなと思っています。もちろん、低学年と高学年では理解の差があるので異なるアプローチが必要になってくるのかなと思いますが、この辺のバランスの取り方が難しさになり、低学年に合わせたルールを設定しまうことって起こり得るのではないでしょうか。
学校コミュニティの一人一人を尊重できるのは、日頃の対話によるコミュニケーション、そして国際バカロレアという共通指針となるものがあるのは重要だなと思いました。
❸ 多角的な視点を受け入れるマインド
とはいっても、学級経営は担任だけだと盲目になりがちです。子どもたちと四六時中一緒にいるからこそ見える担任目線のものと、見えないものが出てきます。僕は、この3つ目がとてもとても重要だと考えています。私の学校では、チームティーチングや学校職員全体で子どもたち一人一人を見れる環境になっています。これができるのも、国際バカロレアのカリキュラムの考え方において担任と専科間で共同設計することの重要性の共通理解がとれているからだと思います。例えば、PSPEの授業にはほぼフルで私も参加できるように調整しており、専科の先生と意図を共有して授業や課題のサポートに入っています。そして、課題に取り組む子どもたちの態度やスキルから学級や一人一人の課題が浮き彫りになることや、次の課題で子どもたちに身につけてほしい力を設計することに繋がっています。担任と専科で継続的に共同設計することで、同じ意図をもってアプローチをすることができるので、課題に対してもこなすことが目的ではなく、課題を通して育んでほしい力を育むことに共同でアプローチすることで子どもの学ぶ力が高まるきっかけになります。
また、クラスの関係性においても毎月の生徒指導会議で各クラスの課題を全教職員で共有しているので、児童への共通理解と視点をもって子どもたちと関わることができます。それによって、担任目線だけでなく、他の先生からのフィードバックからも児童一人一人にアプローチできることにつながっています。1人で学級経営することは、本当に子どもたち一人一人が成長曲線を進んでいるのか見えなくなる中で、複数の先生から色々な視点をもらうことで、今起きている課題に介入できるので学級経営する上で複数の視点が日常的に入り、そこに担任の信念と見取りと重ねながら育んでいける環境が有難いと感じています。
❹ 安心してトライアンドエラーができる
何より、このトライアンドエラーができる環境が本当に大事です。「学級の問題の責任は担任にあり。」という考え方って起こりうるなと。学級の責任を担任の責任と捉えてしまうと、担任は子どもたちが失敗を起こさないように意識してアプローチを行います。学校内で決まっていることを守れていないのは担任の責任であるという捉えから、担任が短期的に厳しくアプローチすることが起こりえます。私の勤めている学校では「ルールの先にあるもの」を大切にしていると感じています。このルールを守る先にどんな目的があるのか?このルールを考えるプロセスを通して子どもたちにどんな力を育んでほしいのか?もちろん、危険につながる行動が出てきたときに、子どもたちが「理解」を育めるように繰り返しのアプローチが必要になります。大人が厳しくレール(正しさの基準)をひくのではなく、学習コミュニティとして理解を育んでいけるような泥臭いアプローチの先に理解が育まれ、学校を卒業した後も自分で基準を考えて行動できる人になるのではないかと思います。
❺ 失敗が経験になる振り返りの文化と仕組み
先ほどの話とも繋がる、トライアンドエラーの先に、失敗から経験値に変えられる仕組みが必要だと思います。学級経営において、失敗しないように環境を整えるのではなく、子どもたちが乗り越えるべき課題と遭遇できるようにデザインすることが重要になります。具体的には、子どもたちの成長を考えると、クラスメイトとぶつかるべき時にぶつかったり、失敗するべきタイミングで失敗できる環境をつくってあげることが大事なのかと思います。そのためには、子どもたち一人ひとりの思考の動きや感情の動きを日々対話を通してみとることが大事になってきます。同じメッセージでも、届くタイミングと届かないタイミングがあるので、届くタイミングがいつなのかを見分けるのも重要だなと感じています。子どもたちを見守りながら、失敗したら一緒に成長ポイントと思えて、一緒に前に進める関係性とマインドセットができている状態を日々大事にしています。
❻ 学校全体の共通言語
最後は、学級と学校をつなぐ学校全体の共通言語についてです。学級づくりの先に学校コミュニティを意識することで、点ではなく面で見れるようになります。私の学校では、毎月"10の学習者像"の中の1つをとりあげて学校全体で考え、各学級での共通のテーマで日常生活の中で落とし込んでいます。
つらつらと学級を経営する上で支えになっているもの、大切にしていることをまとめてみましたが、1年後はまた今の理解とは少し変化していると思います。
学級経営って本当に難しさもあるけど、最近は授業づくりと同じくらいの学級づくり(子ども一人ひとりの全人教育)にも興味が湧いてきています。
いつも読んでいただきありがとうございます♪