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哲学対話とは?

今回の教育デザイン研修は、前回のゲストダイアログとの繋がりから、哲学対話と1on1を行いました。
本日の会は、その場に出てきた言葉やここに集まった人の引っかかったものに対して、それぞれがそれぞれの教育への関わりを振り返りながら言葉を重ねていくような時間になりました。
この場には、公教育以外のカタチで教育に関わる人が集まっており、地域で居場所を作っている方、国際バカロレアの認定校で教員をしている人、オルタナティブスクールで教員をしている人等、多様なバックグラウンドで教育に関わる人がいるからこそ、色々な切り口で対話が行われていきました。

デザイン研修資料①

ここで、焚き火を焚べるように言葉を焚べていくことで焚べられた言葉を順不同で紹介していきます。

人と人とのコミュニケーションの中では、一度受け止めてもらうことで、根気強くコミュニケーションを重ねることことができると思う。

研修生の声

この哲学対話から、海外の学校教育では意見のやり取りであるディスカッションの中で、意見が違くても意見と感情を切り分けてやり取りすることができるが、日本では、学校教育でディスカッションの機会が少ないことから、意見がぶつかった時に、パーソナルに受け止めて傷付いたりしてしまい、本当の意味では意見交換ができていないのではないかという話になりました。

コミュニティの中で、共通言語を探さなければいけいない感覚がある。

参加者の声

お互いの使用している言語を意識せずに話すと、お互いを理解をすることが難しいことがあるが、その人が読んでいる本を読むと、その人の信念や価値観を知ることができ、その人とのコミュニケーションの中でその人の共通言語を選んで使うことで、異なる価値観や考え方を持つ人ともコミュニケーションが円滑になった。

対話とは人間関係を手放して話すこと。

哲学対話を重ねる中で出てきた言葉

私が話した言葉で相手が傷ついてしまうとか、あの人が話しているからこう受け取ろうではなく、人間関係や肩書きを手放して、お互いの言葉を交わし合うことが大切なのではないか。

▼ 研修全体を通しての参加者の声

自由について
何を自由と感じているのか。今のモヤモヤが消えたら自由と言えるのか。"おっ言えるかわからんぞ!"その繰り返しでより深まっていきそうです。
子どもと対等
自分が対等と考える関係ってなんだろう。1つは、自分の言いたいことを素直に伝えたいやり方で伝えられる。
ただ、これを教育的なサポート(選択肢をいくつか用意したり、環境を整えるなど)って最初は対等じゃないなと思っていたけど、もし先生じゃなくなったら関わり方って変わる?って聞かれて考えたら、少しは変わるけど変わらないかなって思ったのが面白かった。対等と思ってないけど大事だとは思ってる感じ。だって、何もなしに関わってたら野放しにされてるだけでよくない方向へいきそう、行っている人たちをみたから。自分は人間関係の面では対等で、成長の面では共に進んでいく仲間やサポーター、お兄さん?としていたいのかなと思いました。

研修生の声①

・自分らが今思う”はぐくみたい”とか”教育的視点”っていうもの自体、それすらも本当に良いものなのか?子どもたちのためなのか?リフレーミングし続けなければならない、ということを感じた。

研修生の声②

・小学生の、素直に思うがままに行動できる時期に成功体験を積める環境が大切。小さなコミュニティの中でいい意味で井の中の蛙になれると成功体験に!
・自由すぎる環境下で、どのような工夫をしたら子どもがやりたいことを見つけられる?(向き合って伴走してくれる大人の存在、周囲の大人や子どもの活動が見える、他には、、?)

研修生の声③

次回はゲストダイアログ第2弾です!お楽しみにしていただけたらと思います。

▼ 次回ゲストダイアログ
1月13日(土)松野飛大(単発参加申込リンク)
#京都 #N高 #シモキタカレッジ #休学   #自由 #暮らしながら学ぶ

ではでは。

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