「正しく悲しむ」ってどういうこと?
かっこよくて、いい声で、場を盛り上げるのがうまくて、さりげなく配慮ができて、いやらしいくらいに名実ともにお坊ちゃまでとっても素敵だった知り合いがなくなっていたことが今日わかった。
夫の高校のそして前職場での先輩で、子供の年齢も一緒で、小さい頃はお誕生日会を一緒にしたりしていたが、私たちの引っ越しもあってここ数年は疎遠になっていた。でもまたいつか会うんだろうとなんとなくそんな日を楽しみにしていたのに・・・
その人の一生はどこで決まっているんだろう。
去年も私がサヨナラした30分後に友人がなくなっていたという辛すぎる出来事があった。
どうして最後にあった人が私だったんだろう
どうしてあの日あのスケジュールにしてしまったんだろう
どうして、どうして・・・
ずっとその理由をさがしてきたし、今回のことも理由を探したがる自分がいる。
でも何より、今私はすごく悲しいし、友人を亡くした悲しみはまだ生き生きと私の中で現在進行形でいる。そのことを今日はちゃんと受け止めよう。
悲しい時に、正しく悲しもう。
悲しいと言葉にして、なりふり構わず泣いて、何にもできない日も受け止めて、一番声を出したいといっている内なる私に寄り添い続けることでしか、その先はきっとない。今それを閉じ込めたら、あとでそれと向き合うことになると思う。
だからできるだけ、その時、たった今の自分を大事にしていこう。そこに一番大切にしたいキラっとした何かがあると信じていたい。
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