漢の中の漢こそツーリングに行け
雨宿りで時間を潰している間に、
いかにバイクが楽しくて、乗るべきものなのかを多くの人が語っているが、誰にも負けない熱意と愛があるので、私も書きたいと思う。
これは最近バイク乗ってないな〜というライダー向けでもあり、今週末ツーリング予定のライダー向けでもあり、メインはバイクと縁がない人に向けてのメッセージである。
私とバイクの出会いは2年前。
映画「ロッキー4」を見に行った際、
映画のワンシーンでバイクを乗りこなすシルバースタローン。
私はロッキーをこよなく愛していて、作中出てくる生卵のジョッキ飲みや片手腕立て伏せ、リンゴを食べながらのロードワークなど、できるものは真似しまくってきた人生だが、バイクはなかった。なんでこんなに基本的なものに気づけなかったのかと、映画を見終わり次第、急いで自動車学校へ入校。正直バイクのシーンでハッとした以降、映画の内容はあまり覚えていない。
考えてみたら漢として、ボクシングとバイク
少し古いかもしれないが抑えるべき要素すぎる。
カラオケで浅い歌詞の最近の歌を得意げに歌う若者、ブランドものを着こなしインスタに投稿している若者、休みの日はカフェに行きます?冗談はそろそろやめてくれ。
大体朝飯にパンを食うやつは漢じゃないし、
昼飯のことをランチっていうやつは漢じゃないし、風呂のことをシャワーと言い、髪を乾かすのにドライヤーを使ってるようなやつは漢じゃない。漢なら髪の毛くらい短く切れよと西新宿の飲み屋の親父が言っているではないか。
ここまで暴論をかざしていて、
あー出た出た、老害の戯言か〜と思われたかもしれないが、私は26歳である
そんな漢の理想像を求めた結果、
バイクに行き着くのは至極真っ当である。
私の愛車はスズキの
イントルーダークラシック400
国内ではすでに生産終了しているアメリカン車で、かなりの希少種である。
乗って2年が経とうとしているが、いまだに街でインドルーダー乗りと会ったことがない。
いつかインクラ乗りだけでツーリングに行くのが私の密かな夢だ。旅費は全額出していい笑
出会いは2年前、中古バイクのサイトを漁っていたときに見つけ、すぐさまバイク屋に連絡。
東京に住んでいるものの静岡のバイク屋まですぐ行き、購入を決断。
免許を取って間もない自分からすると、その車格と重さから本当に乗れるのか?と不安すら覚えるほどの重厚感と圧力だった。
エンジン音は低くズッシリとした感じ。
音は大きすぎず静かで、海のギャングであるシャチを彷彿とさせる黒光りの車体。
乗る前から一目惚れしていたが、乗ってからというもの、これに勝る感動は自分の人生ではもう味わえないのではないかとさえ思った。
そんな相棒は全国各地に私を連れて行ってくれた。
両手両足を伸ばして全てを相棒に預ける。
相棒は私の思いに応えて進んでいく。
風が、景色が、私と相棒を包む。
バイクのある人生を知ってからというもの、
元の生活には戻れるはずもなかった。
よくライダー達が言っているが、
バイクは乗り物ではあるが移動手段ではない。
バイクに乗らない人からすると全く理解できないと思うがこれを言語化していきたい。
ツーリングに並列する存在をあげるとするならば、私はドライブではなく、登山であると思っている。
バイクは常に自然との対話である。
風、気温、雨、日差し
常に自然の脅威に晒され、険しい道を目的地に向かって全てを相棒に預けて進んでいく。
天気次第では目的地に向かうのを断念しないといけないこともある。
自然に対して謙虚な姿勢で臨めるのがツーリングの良いところだと思うし、決定的にドライブと違うものだと思う。
その中では、雲の切れ目からの日差しの差し込み、包み込むようなそよ風、通り過ぎていく街の匂い、思いがけないタイミングで私に感動をもたらしてくれるのだ。
ツーリングは決して楽な道のりだけではない。
というか終始楽しいツーリングはツーリングではないとさえ思っている。
道中の自然との対話こそが旅を終えた時の満足感につながる。
目的地での出来事より道中の一瞬の出来事の数々の方が鮮明に思い出せるものだ。
春の静岡で桜並木を赤く照らした朝焼け
夏の山梨で手を振ってくれた虫取り少年
秋の山形でバイクごと包まれた桃の香り
冬の鹿児島の磯から眺めた雪を被った桜島
これからも私は写真では残らない一瞬の絶景と
経験を求めて相棒と共に旅にいく。
さあ週末はどこに行こうか。