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登山と人生について思ったこと

先日、北アルプスの女王こと、
燕岳に登ってきた。
登ったことがある人以外は知らないと思うが、
「つばくろだけ」と読む。
百名山ではない山だと、
日本トップクラスの存在感を織りなす山だ。
花崗岩からなる山肌と緑の木々が織りなすコントラストが、日本アルプスの他の山々とは一味違った雰囲気を醸し出しているのだ。

なるほど。これは王じゃなくて女王だな。
登頂した時にそう感じた。
これは登らないと分からないので、
登って体感してほしい。

間違いなく人生最高のビール

20代も半分が過ぎ、
人生を見つめ直す機会が最近増えたと思う。
自分の人生を見返すと、人よりは頑張ったと思うし、人よりも苦労してるし、後悔は特にない。
だが、これと言って万人に誇れることもないかもしれない。
そんな人生を見つめ直すいい機会だと思って
私は山に登り始めた。

山は人生と一緒。
よく耳にする言葉だが、
私は少し違うと思っている。

人生は努力が報われるとは限らないが、
山は高い方を目指して歩けば、いつかきっと
頂に辿り着く。
その道のりは時には険しく、厳しく、
きつい。もうやめよう。といったような
弱い心を引き出してくることもある。
ただ、上に行けば必ず辿り着く。
ゆっくり着実でいい。
山は絶対に最後に応えてくれる。
息を呑むような絶景と共に。

この世にこんなにも頑張っただけ、ご褒美をもたらしてくれる存在はないのではないか。
その飴と鞭に
長い間、人間は魅了されてきたのだ。

最初は何をしているのかと問いたくなるほど、
地味で苦しい。景色は悪く、気温も高く、
動き始めは、心肺機能もかなり疲弊する。
ずっと、それを続ける。
とにかく、ゆっくり、続ける。
最後の絶景を追い求めて、登り続ける。

人間は体と心が、
本当に強く結びついていると
感じることができるのが、
絶景を前に心が奮った時である。

これまで何千、何万と歩みを重ね、
筋肉も心肺機能も限界のはずなのに、
絶景を前にすると、全て解放される。

この経験は、スポーツでも味わうことができるが、難易度はかなり上がってしまう。

夏の炎天下の野球の試合で、
ホームランを打った時

最終ラウンド、相手をフックで射抜き
KO勝利を飾れた時

こんな経験することが難しそうなことに
並んでいるのが、山で絶景にあった時である。

上二つを経験したことのある
私が言うのだから間違いない。

しかも上記2つの例に比べると
味わえる可能性が格段に上がる。

これらの体の限界をも忘れさせる
強烈な心の一瞬の振動こそが、生を知らしめ、豊かにする、引き金なのではないか。

私はまた山に登るだろう。
心を奮わせるために。
人生を豊かにするために。

朝焼けに照らされる燕山荘


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