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ふみサロ7月課題≪失敗の科学≫を読んで

2022年6月からエッセイ塾、ふみサロに参加しています。
早いもので、2年目になりました。
2年生ですね。

毎月課題本から得たインスピレーションをもとに800字程度のエッセイを書き、参加者同士で講評する。SNSで発信するまでが課題。

以下がエッセイ



まだまだ修行中



日々、頭を悩ませているのは料理。
「今日の夕飯なにしよう?」簡単に作れるものが良いけれど、いつも同じようなものばかりだと飽きて食べてくれない。

野菜炒めばかり作っていたら、「何の料理か分からない」「料理にたいしてもっと考えたら? ズボラすぎる」などと、夫からの言葉。図星すぎて反論する余地もなく、負けず嫌いも発動して、レシピ本を見ながら格闘する毎日だった。

失敗を繰り返しながらも、なんとか最近はレシピ本を見なくても、「今日は美味しいの出来たよー」と出せるぐらいになってきた。

それが、先日、自分でもびっくりするほど不味いご飯を炊いてしまった。炊飯器の蓋を開けた瞬間、どうしよう、これはしまった・・・と見た目からも分かるほど、あきらかに不味そう。べちゃっとしているのに芯が残っている。どうして?いつも通り水加減も確認したはずなのに。

翌日のお弁当がないから、いつも5合炊くところを4合にして、水加減の感覚が狂ったのかな?炊飯器の内釜に書いてある目盛りだと、無洗米には少ないので、多めにに水を入れたはずが、やはり5合と4合の場合では、目盛りの感覚が違ったのか。いや、吸水時間が足りなかったのかも。時間に余裕があれば、通常の炊飯のスイッチをで炊くところを、料理をしている途中で、ご飯を炊いてないことを思い出して、慌ててたから、吸水時間もそこそこに早炊きのスイッチを押した。それが原因か?

その時は、目盛りを確認したはずで、見ていたのに、見えていなかった。どこで間違えたのかはっきり思い出せなかった。夫には何を言われるかドキドキ。言い訳したくても、できない失敗だから、自分から先に失敗しちゃったと報告。何とも言えない微妙な表情で我慢して食べてくれた。少しは料理も上手になってきたと思っていたけれど、油断は禁物だ。

その後、夫が失敗したご飯を炊飯器で甘酒にして、その間に鍋でご飯を炊いてくれた。お米の量も水加減も目分量なのに、完璧につやつやのご飯が完成した。んー悔しい!

            おわり


失敗からいかに学ぶことで成長できる。
失敗をどうとらえるか、正面から向き合えるかということが書かれていた。
批判を歓迎することも大事。

頭では分かっているつもりだけど、素直に聞けるときと聞けない時がある。

エッセイを書くにために、失敗のエピソードをいろいろ思い出してみたけれど、思い出したら、その時の残念な感情も思い出してしまって、書くのが辛くなるので、最近の失敗を書きました。


課題本


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