知ったかぶりは自律思考の訓練になる
こんにちは、日経COMEMOのKOL、Uniposの斉藤です。「自律」というキーワード、最近良く聞くようになってきましたが、なかなか会社から押しつけられるのもなんだかなあと思うのですよね。
今回は私自身が世の中の出来事や会社の事業を自分のことのように語るときはなんでなんだろう?と考えてみたところ、実は「知ったかぶり」するって良い一面もあるんじゃないかと思い至ったので考察してみたいと思います。
知ったかぶりって恥ずかしい
「知ったかぶり」
それほどよくは、または、まるで知らないのに、知っているようなふうを(得意になって)すること。
私は中高生のころ、知ったかぶりをして、後でバレて友人に笑われることしばしばあった。今思い出しても恥ずかしい。
それはそうだ、本当は知らないのに知っているような口をきき、突っ込まれたときに答えられないことがある。距離をおかずに笑い飛ばしてくれた友人には感謝している。
ただ不思議なことに一度知ったかぶりをしたことのあるエピソードは今でもよく覚えているのだ。なぜだろう?
知ったかぶりは「承認欲求を満たすための、仮説構築/説明力の発揮」である。
なぜ知ったかぶりをしてたのか?
それは物知りですごいね。頭いいねと女子に言われたかったからである。
もうそうなるとエネルギーはとてつもないもので、知ったかぶりへのプライドのようなものが生まれてくる。「人に知ったかぶりをしていると思われないようにロジカルに説明してやろう」と思い始めるのだ。
知ったかぶりPDCA
知ったかぶる -> バレる -> 恥ずかしいので学ぶ -> ちょっと仮説の精度がよくなる -> 知ったかぶる -> 前よりバレづらくなる。
そうなったらば勝率がどんどん上がっていく。知ったかぶりをしても気づかれなくなってくるのだ。どうやら私の仮説構築力はなかなかにあがってきているらしい、それらしいことを言えるようになっているのだ。
知ったかぶりとの付き合い方
良い側面ばかりを語ったがもちろんそんなことはない。
知ったかぶりPDCAは、回せば回すほど
「斉藤くんって知ったかぶり多いよね」
となるのだ、これはもう当初の「物知りですごいね。頭いいね」とは程遠いのだ。これは困った。じゃあどうするか。
「知ったかぶり」を「仮説の提示」にかえるのだ。
知ったかぶり:「こんなことあったけど、実は〇〇らしいよ」
仮説の提示:「こんなことあったけど、前調べたこのことと近い気がしててさ、今回はどうかわからないんだけど、こう考えられるんじゃないかなと思うんだよね。」
言っていることは同じだけど、言い方が違うのである。
するとどうなるか。「物知りですごいね。」は達成できないかもしれないが、仮説の精度が高く納得行くものでなるほどと思わせられば「頭いいね。」とは思われるのである。これはもうしめたもので、どんどん勉強したくなってくる。
結論:知ったかぶりは自律思考の訓練になる
やれ自律的思考が大事だ、やれ自分ごと化が大事だといわれてもモチベーションはわかない。「頭いいね」って女子に言われるためなら男子高校生はがんばれたのである。
もちろんビジネスの現場で、重要な意思決定をするときの知ったかぶりは絶対に駄目だ。ファクトが無いんだから議論を混乱させてしまう。でも仮説の持ち込みは必要だ。正解など無いことのほうが多いのだから。
知ったかぶりがいけないのではない、嘘をついて自慢すると痛い目をみるのだ。女子にすごいねと言われるために頭をフル回転させて何が悪い。
娘を持った今、娘が知ったかぶりをしてきたら、気づいてないふりをして問いかけを投げてやろう。「ほうほう、娘よ。そいつは面白いな、それならここもなんでなんだろう?お父さんは気になって仕方ない。」楽しみ。
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