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不感症なトラウマ

「何かしら、自分の過去に影響され、今の自分が形成される」

と、実感する事が最近あったので、記録しておこうと思う。

人のトラウマとは、認識が、
できているもの、できていないもの、がある

私にとって、トラウマの一つは食べ物である。

子供の頃に、それまで平気に食べれていた海老と蟹が、突然食べれなくなり、甲殻類アレルギーと診断された。
時が過ぎ高校を卒業し、アメリカへ旅をした時に立ち寄った、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで出されたパスタにロブスターが入っている事に気付かず、食べた後に聞かされて、影響が出ていない自分に驚いた。

しかし、美味しく食べていたのに、救急車に運ばれる事態になった時に経験した恐怖が、私を支配している。未だに苦手なのである。

これは、認識しているトラウマになるのだけど、頭で分かっていても、心が理解していないという事なのだろうと思う。
他にも自分が理解しているトラウマは少なからずあり、苦手意識として私を形作っている。

先日、「夕暮れ時」に親しい友人から距離を取られた時、私は激しく動揺した。
今にして思えば、あの時の友人はお互いの為、前向きに話し合いたかったのだと、今になって気付く。
前向きに話し合う事が出来たはずのそれは、結果として、収集が着きずらい迄に気不味い関係になってしまった。
私が自覚していない、幼少期の頃に経験した、「夕暮れ時」のトラウマが見事にハマり、必要以上に悲観的な立ち振舞いを、友人にとってしまった。

自分が認識していないトラウマは、無自覚にその影響を与えてくる。
そして、無防備な状態のまま影響を受ける私は、とても良くない状態になるのだろう。

認識していないトラウマが、実は多く存在しているのではないのかと、痛感させられた。
今回に至っては、過去を振り返り、たまたま思い出した事が私にとって、とても幸運な事だったと思う。

幼少期の記憶、夕暮れ時の思い出、孤独感、独りきりの影法師、苦手な食べ物、好きだった人、旅の思い出、過去の記憶。
実に様々な経験が、私を私足らしめるように、私が知らない私という、なんとも実態のない、しかし確かに存在している事として、私は私を見つけなければいけないのかも知れない。

冒頭で言った、「何かしら」というのはこの事で、それは無自覚且つ、無意識なトラウマなのだと思う。

しかし、それを少しでも理解する事が、していく事が、長い人生を生きて行く中で、より自分と向き合える、キッカケになれば良いと思う。

夢や未来や希望や綺麗事ではなく、今の自分をここに記録出来たとた事を願う。

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