ゆるせないって、「〇〇してほしくない」ってことかも
今回は、再び「怒り」の感情を紐解きたいと思います。
以前、わたしなりにいくつかまとめてみたのですが、いいところまではいったものの、核心に迫り切れていない感覚で、少し悔しい想いもありました。
*とは言え、そのnoteを御影石さんが拾ってくれて、記事化してくれたりと素敵なご縁もいただきました。
▽御影石さんの怒りのネーミング(ラベリング)『野に紅』が、とても上品で印象的でした!
怒りは二次感情。
いくつかのパターンには既に触れましたが、あのとき本当に書きたかったことを言語化するため、もう一度、自分の内側にダイブしたいと思います。
ゆるせないのは、自分。責めてほしくないのは自分。
「自分のイヤなところを投影してるのでは」という部分で書いたことは、それはそれで納得はしているのですが、本当に表現したかったことはこれでした。
自分が責められたくないから、自分が攻撃される側に回ってしまうのが怖いから、誰かを攻撃している人っていませんか。例えば、凄い剣幕で部下のミスを注意している人。実はその人も別なミスを突っつかれたくなかったり、負い目がある。そんなことってないですかね。
わたしがこれに気づいたのは、2つの出来事でした。
1つは、わたしの息子との会話。息子は、知り合いのお金を盗んでしまい、現在、返済中です(厳密には、わたしのパートナーが立て替えて、パートナーに返しています)。
その最中に、返済のための行動に真剣に取り組んでいない(と見えた)とき、わたしの怒りが爆発しました。
なぜか。わたしもパートナーに借金があり、他にも返している最中です。そして、それは、何度も待ってもらったり、返済計画を引き直してもらい、調整してもらっているものでした。わたしと息子では、何が違うのでしょうか。
そして、もう1つ。最近、よく見ている経営者さんのYoutube。「経営者」としての肉親の行動が許せないという弟さん。しかし、実際には、自分も人のお店の写真をパクリ、お兄さんと同じように「経営者」的な判断と行動をしてしまっているというものでした。
以前紹介した、「自分だったらそんなことしないのに」という想い。でも、そこには、「(今は)」という言葉が入っており、かつ、そこに「自分の苦い思い出があるからイヤだ」というパターンがあるのではと思った形です。
そして、動画では、そこから、お店の写真をパクられた50億社長は、最初は許せないという姿勢でしたが、「写真のことはもういいから、お兄さんをゆるしてほしい。親御さんはどう思うか。」などの話が続き、経営者はつらい決断もあるし、その苦さを味わえる人間になってほしいと続けます。
もちろん、以前、例に挙げたような「凶悪犯罪などへの怒り」には、通用しない考え方だとは思いますが、もし、なぜか怒りのボルテージが一気にあがってしまうようなことがあったり、そういう人を見かけたら、「もしかして、このパターンかも」と思ってみると、自分のなかで納得できる瞬間があるかもしれませんね。
▽他の怒りのパターンについては、こちらの記事で取り上げています。
「怒り」については、結構長く取り組んでいるテーマですが、わたしもまだまだ勉強中なので、「自分はこうしている」とか、こんなパターンもあるかもというのがあったら、ぜひ教えてくださいね!
今回のトップ画像は、絶妙なゆるさに惹かれた、ぼるけーのさんのイラストを使わせていただきました!