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【振り返る】エリザベス朝ーElizabeth eraーという時代
今からちょうど2年前の9月8日、イギリスとその連合王国および連邦を70年と214日の長きにわたり君臨し、統治した女王エリザベス2世が96歳の長寿で崩御された。
崩御した場所はスコットランドのバルモラル城。その前の年に亡くなった王配フィリップ殿下(エディンバラ公)に、約75年前にプロポーズを受けた場所だった。
初めてスコットランドの地で崩御した英国君主となった。最期を看取り、死亡のサインをしたのは長女のロイヤル・アン王女であった。
孫息子のウィリアム王子とヘンリー王子は現地に向かっていたが、間に合わなかった。
その死に、ヨーロッパが、世界が沈黙し、黙祷した。
その後、各国の旧王家・王家はただちに弔電とメッセージを発表し、苦労に満ちた長い在位と並外れた統治を偲んだ。
1952年に、生来身体の弱かったジョージ6世が第二次世界大戦を越えて統治し、亡くなったことによって長女エリザベスが王位継承。
70年後、崩御とともに「史上最年長の王太子」と揶揄されていたチャールズ王太子が即位する。彼は「ジョージ7世」の統治名をとるという予想に反して、【チャールズ3世】として即位宣誓に署名した。
チャールズ3世は母が若い頃、国のために挺身して統治するという約束を果たし通したことに触れ
「わが母エリザベス女王はよく生きた人生だった。運命の約束を守り、亡くなったことを最も深く悲しんでいる。私も生涯にわたる奉仕の約束を今日、あなた方全員に改めて表明する」
エリザベス女王の崩御により、最年長の君主はサウジアラビアのサルマン国王となり、在位が長い君主はブルネイのボルキア国王となった。それでも、エリザベス女王よりは年齢も在位も10年以上は短い。
世界で最も長く統治した独立国の君主はフランスのルイ14世の約72年(1643-1715)であり、それには届かなかったが、エリザベス女王の在位は2番目の記録を残した。先祖のヴィクトリア女王が在位63年(1837-1901)、更に遥か昔の先祖であるアリエノール・ダキテーヌが在位66年(1137-1204)であり、女性君主としてはトップとなった。
エリザベス女王が1952年に即位した頃、頼りにしていたのがノルウェーのホーコン7世だった。彼は1905年独立なったノルウェーで選挙によって王に推戴され、2度の世界大戦を通じて立憲君主として貫いだ。
若きエリザベスはホーコン7世のことを、デンマーク王子時代の「カールおじさま」と呼び、長老として崇敬していた。このカールの英語読みがチャールズであり、長男にチャールズと命名した。
また、王女だったときの誕生パーティーで、エリザベスは厳つい顔の若者と知り合った。彼はスコットランドのエアリー伯爵・オギルヴィ氏族長の息子デビッドで、話すとエリザベスのほぼ1ヶ月後に生まれたことがわかりそれが元で、2人は深く友情を誓った。
後にデビッドの弟アンガスは、エリザベスの従妹であるケントのアレクサンドラ王女と結婚した。
エリザベス女王の治世、デビッド・オギルヴィは活躍する。スコットランドにおける高等弁務官や、そして式部長官として資金の透明化と開かれた王室への道を作り、女王と共に時代を乗り越えていった。
葬式の場では、デビッド・オギルヴィ閣下は目を患い眼帯姿でありながらも参列し、主君の最期を見つめ続けていた。彼はジョージ6世の戴冠式に参列した最後のひとりでもあり、その仕えた娘女王の死を見届けて、更にその息子チャールズ3世の戴冠まで見た後の翌年2023年6月23日にひっそり、世を去った。
葬式には軍務伯ノーフォーク公を初めとした英国内の貴族に、女王の公務を長らく支えた従弟の王族公爵であるケント公爵家・グロスター公爵家らも加わり、世界の各地から集った王侯、そして夫君フィリップ王配の親族、ヘッセン=カッセルのハインリヒ=ドナトゥス殿下やホーエンローエ=ランゲンベルクのフィリップ殿下らドイツ貴族も参列した。
一般弔問は老若男女が集い、待機時間は24時間を優に超え、城からウェストミンスター橋を越えてぐるりと周り、棺に最後の挨拶をするために並んだ。
女王の死により、彼女が暮らしていたコーギー犬は次男の元嫁の「ヨーク公爵夫人」セーラが引き取り、厩屋はカミラ夫人が引き継ぐ。
そこから2ヶ月ほどでヨークミンスターで初の彫像が公開され、その後も英国内外とわずに像が作られた。
それから今日で、2年の年月が過ぎた。女王の職務は各王族に振り分けられ、未だに追憶され引き継がれている。
心配に反して、長く王太子だったチャールズ3世は世論調査では「うまくやっている」と言われている。
エリザベス女王は、まだまだその時代を生きた私たちの心に生きているのだ。そしてそれが終わる頃に、「エリザベス朝」と人々は思い返すのだろう。