誰がために鐘は鳴る
≪おごおりト−ク23≫
小郡市では「みんなですすめるまちづくり条例(以下、まちづくり条例)」の制定に向けた取り組みが進められています。私としては、小郡市の地域自治やまちづくりにとってとても大きな変化だと思うのですが、一方では「まちづくり条例」が何を目指したものなのかがあまり明確になっていないようにも感じています。
そこで今回は、この「まちづくり条例」が目指すものについて考えてみたいと思います。どうぞお付き合いください。
まずは、今回の主題である「まちづくり条例」について、その目的と必要性について考えてみます。
この条例は「市民主体のまちづくり」を目指すものとされていますが、では、なぜ「市民主体のまちづくり」を目指す必要があるのか、また、「なぜ今この時期に条例を制定する必要があるのか」ということについてはあまり触れられていません。条例第1条の目的を読んでも漠然としていてよくわからないというのが正直なところです。
(目的)
第1条 この条例は、市と多様な市民がみんな でまちづくりをすすめることで、共感・共働・共創による共生社会をめざし、小郡市を「あらゆる人の人権が尊重され、自分らしくまちづくりに関わる人であふれる、誰もが幸福を感じられるまち」とするために基本的な事項を定め、魅力あるまちづくりをすすめることを目的とする。
実は、この条例制定の背景を見てみると、令和4年度は小郡市にとって第6次総合振興計画(以下、6次計画)の策定や市政施行50周年など大きな節目の年となっていることが見て取れます。
この6次計画では、従来の総合振興計画と違って人口の目標数値を掲げていないことが特徴の一つです。これは、これからの10年が少子高齢化と本格的な人口減少社会の到来を受け、行政運営においても右肩下がりの縮小社会への対応が求められるという情勢認識に基づくものであり、基本構想では、『「あれもこれも」ではなく、「あれかこれか」を選択せざるを得ない社会への転換を迎え、社会情勢に適応した持続可能な行財政運営の確立が求められている』と述べられています。
このことは地域自治やまちづくりの分野においても同様です。少子高齢化と人口減少の影響により生じる様々な地域課題に対して、既存の自治会や行政だけでは対応が困難になる状況が予測されており、将来的にこれらの課題解決のためには市民主体のまちづくりの実現と自治会を中心としたコミュニティの活性化が必要であるという認識から「市民との協働のまちづくり」が推進されてきました。
さらに6次計画では、将来にわたって持続可能な地域社会を構築していくために、これまでの「協働のまちづくり」のさらなる充実と、市民自らが担い手としてまちづくりへ参画することや多くの市民の地域活動への参加・協力を促すことによって、「共感・共働・共創」による「地域共生社会」の実現を目指すこととしています。
【共感・共働・共創】
これまでの協働のまちづくりを包含した一連のまちづくりの考え方。
「お互いの状況を理解し、多様性を認め合う共感、共感により同じ目的に向かい行動する共働、共働により新しい価値を創造していく共創」によって、多様な主体が参画し、全ての人が包み込まれる「地域共生社会」を目指していくもの。
第6次総合振興計画基本構想の「小郡市の将来像」に位置付けられている。
このことから、この「まちづくり条例」は、6次計画基本構想の将来像を具現化するために「市民主体のまちづくり」を推進する理念条例として位置づけられること、そして、「なぜ今、必要なのか」という点については、この6次計画の策定時期と合わせて、まちづくり政策における基本理念を明文化する必要があることがあげられます。
そして、この「まちづくり条例」が「まちづくりの担い手」を重要視しているのは、自治会においては区長や役員など後継者不足の問題、民生委員児童委員の欠員の問題など地域活動における慢性的な人材不足の実態が浮き彫りになっており、地域の高齢化とあわせてこの担い手不足の問題が今後ますます深刻化していくという認識によるものです。
つまり、これからの「市民主体のまちづくり」においては、地域活動の担い手確保と人材育成が緊急的な課題であるという認識からも、この「まちづくり条例」の必要性が説明できるのではないでしょうか。
また、令和4年度の市政施行50周年においては、様々なまちづくり関連事業とタイアップすることによって「市民のシビックプライドの醸成」を図ることとしています。
シビックプライドとは、市民の自分の住んでいる自治体に対する愛着心や誇り、まち自慢など単なる郷土愛という意味にとどまらず、市民自らの参画によって未来を創造していくという意味合いを含むもので、様々な地域課題を自分事として捉える当事者意識や市民のまちづくりへの主体性を引き出していくことを意味しています。
市制施行50周年を機に、この「まちづくり条例」が「市民のシビックプライドの醸成」の一翼を担っているということであれば、今、この時期に条例を制定する意味づけも出てくると思います。
さて、ここまで「まちづくり条例」の目的とその必要性について述べましたが、実は、私が一番気になることは、「それは一体誰のための条例なのか」という点です。
それは、現在の小郡市のまちづくりに関わる様々な市民や団体のため、そして将来にわたって小郡市に住み、生活を営んでいくであろうすべての市民のためであることに相違ないのですが、果たしてそのことが、それぞれのまちづくり関係者や行政職員の間で認識され、共有されているのでしょうか。
現在、行政では今後のまちづくりの指針となるガイドラインの作成が検討されていますが、このガイドラインは、これまで10年間にわたって取り組んできた「協働のまちづくり」の成果と課題を検証し、これからの具体的なまちづくりの方向性を示すものです。
本来なら、理念条例である「まちづくり条例」を策定する前に検証されなければならなかったものであり、「理念が先で検証が後」では主客転倒という批判は免れないでしょう。
また、条例案の検討においても、そもそもすべての市民から意見を募ることは不可能だとして、一部のまちづくりの利害関係者や行政職員だけの閉鎖的な論議に終始しないよう、多様な意見を持つ市民との対話の機会創出や、行政の庁内論議を活発化させることによって市民間の議論を代理すること、さらに不十分な市民の意見集約を補完するための創意工夫が必要だと思うのです。
「誰がために鐘は鳴る」、小郡市の地域自治やまちづくりにとって大きな転換期にあって、その鐘の音は本当に市民の耳に届いているのでしょうか?
(2022.7.25)
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