国民国家と少子化問題①

何故子供が必要か?

そもそも論として何故子供が必要なのでしょう?

生物学的には「子孫を残すため」でありそれが生物の本能であるからで、それ以外に「子供産む」という行為に必要性はありません。その意味では子供は「性欲の赴くまま」の結果に過ぎない。それへ多分昔の人々も同様です。

これは低所得層の方が子沢山という事実から外れずとも遠からずです。少子化はある意味で「人々が理性によって性欲が抑えられるようになった」結果とも言えます。

すると「性欲=本能の結果」以外に子供が必要な合理的な理由とはなんなのでしょう?

子供が欲しい人の多くの場合、漠然とした「家族のイメージ」によるものかと思いますが「子供がリスク」と言われてしまう時代にそんな漠然としたイメージだけで子供を作る気にはなれない。

別に子供をつくならいところで我々親にとっては「精神的な満足」以外のなんの利益もないわけです。では何故子供が必要なのか?逆に今まではなぜ子供が作れたのか?

そこには国民国家という概念が関係しているのでは?というお話です。

国民国家とアイデンティティ

国民国家とは名前の通り、国民が主権を持つ国家のことなんですが英語ではちょっとニュアンスが変わって nation-state、Nation=共通の文化、言語を共有する集団としての国家です。

イタリア人といった時にはジローラモ氏のように「イタリア語を話すピザ食ってる陽気なラテン系の人」をイメージするように、イタリア人のなかには「イタリアという国家に所属する人間」という意味と「イタリア語を話すイタリア文化にいるラテン系の人間」という意味を持っています。

日本でも「黒人系、白人系の日本国籍を持つ人」をあまり日本人と認識しない傾向が強く「日本語を話す人=日本民族=日本国家」という認識は強い。

つまり「その国の領域内に住んでいる人間」という意味でなくて「構成している人間の文化」まで考慮されて「国家」が形成されているという概念です(成り立ちは逆でそういう民族によって国家が形成された)。

「言葉、民族、国」の認識の「ズレ」が戦争や独立戦争になるのはパレスチナやウクライナの例を挙げるまでもない。

国民国家で重要なのは「"国民"というアイデンティティ」を確立することであって、それによって国への忠誠や税というものが肯定化されていく。「自分の行為が国を良くしていく」、「自分の行為が国から評価される」という肯定感と有能感が奉仕を正当化してくれる。皆さんは突然「日本のために死ね」となるとキレると思いますが、昔の人は「それで日本が自分の家族や親族が良くなるなら」と「納得」が出来た。

そのおかげで20世紀では戦争ができた。そしてある意味で現在も戦争ができている国(ウクライナvsロシア、イスラエルvsパレスチナ、アメリカ等など)は「国家への帰属意識が強い国」とも言えます。

国を構成する人口を見たときに「日本という国への帰属意志(=納税、法令や文化的なルールの遵守、国防や共同体維持への貢献)のある人間を一定度数保つ」必要があるために少子化問題を解決する必要があるわけです。

移民政策と国民国家

重要なのは「国民国家」であることで、ただの国でないというのがポイントです。単純に人口を増やすだけなら移民でも良い。移民政策は「言葉、民族、国」のうち、言葉と民族を無視して国を維持する作戦なわけですね。

それが批判されるのは日本のように「言葉、民族、国」の一体性がある国では移民の人々に「言葉、民族(習慣)」を同化させる意志がないと国のアイデンティティの同一性を保てないからです。

日本という国は「日本語と日本民族と日本列島」という国で構成されているという「何気ないアイデンティティ」がある。アメリカ田舎の人の移民嫌いも治安や経済の問題もありますが、なんだかんだで250年くらい続く国なので「言語、民族、国家」がアイデンティティとして形成されているからでしょう。

この意味において国民国家という概念は、第二次大戦で崩壊したわけでもなく人々の「アイデンティティ」のレベルでは健在と言えます。

トランプ氏は「アメリカという国のアイデンティティ」を強調していますが、民主党は「アメリカというアイデンティティ」を否定し、よりグローバルなパーソナルなアイデンティティ(学歴、所属する会社、性別等)を強調する。

それは移民では解決出来ないアイデンティティの問題があるからこそ、少子化というのはより深刻な問題として現れてくる。

世界には当たり前ですが「自分のnationが至上」という考え(=アイデンティティ)な民族や主義がある。イスラム主義、シオニズム、ネオナチ、中華思想等など、他の穏健な民族や国家を見下し、差別、駆逐する人々がいます。そういう民族による移民難民によって国の人口比が大きく変わると、その国民国家にとっては容易に「文化の破壊」となる。

つまり「国」の維持ではなく「nation」の維持として少子化が深刻なのです。

Nationと少子化

国民国家という概念を持ち出しましたが、もっとシンプルに昔は死亡率が高かったので子供が多く必要だったとか、個人経営が多かった時代は単に労働力としても子供は必要だったというのっぴきならない理由もあります。

労働するのは「生きるため」でもありますが、本当に「生きるだけ」であれば野盗になるなり物乞いになるなりすれば良い。最も最近は「闇バイト」や「頂き女子」などこちらの選択をする人も多い。最も全員が物乞いしてたら全員が生きられなくなるんですが。。。

そこには「物乞いや強盗は悪である」という倫理(=文化)があり、「物乞いや強盗は持続可能でない」という生存戦略がある。

これも「家」や「地域」等の共同体の維持であり、結局のところ「種の継続」という「生物の本能」によるものとも言えます。

人間の場合「子孫を残す」という生物的な本能が「社会的構成体(家族、地域、国、文化等など)の存続」へと接続されているんですね。これもまた「社会的な動物」としての生存戦略なのでしょう。

結局のところ「何かを存続させる」という本能的な意志によって子供を作っていると言えます。では「現代日本にとって存続させるべきもの」とは何なのでしょう?

最少単位は「家」ですが、現代日本には「家」を存続させるという意志はそれなりの家柄にしかありませんし、地域という単位では地方の一部の人間は頑張っているように見えますが、ほとんど東京一極集中です。
日本という国で見ても、日本という国に対しての愛着や貢献をするような報道はほとんどされない。

それは良くも悪くも個人主義による共同体からの離反、そして「マスコミによる日本批判」と「政府運営のまずさ」がもたらした結果、恐らくいまの若者には「自分の所属する集団(家、文化、国、地域)」についての自覚がなく、それを存続させる意志がない。

結局自分以外の「他人の集合体」への愛着や帰属というのを失った結果が現在の少子化ということになります。

アイデンティティ≒コミュニティ

ところで、アイデンティティという言葉は高校で習いますが「わかるようでわからない」概念ですよね。「自分が自分であるという肯定感」なんですが、我々が特定の人物を説明するとき大半の場合「名前、出身、出身大学、所属する会社、部、課」という所属をベースにIDしますよね。同様にアイデンティティも大半は所属する社会的な構成体がベースになっています。

この概念は心理学では社会的アイデンティティ理論というそうです。

社会的アイデンティティ理論とは?私の経験から具体例で分かりやすく解説! | Yuya-san

つまり「コミュニティ」≒「アイデンティティ」でもあるわけです。社会的な帰属があればあるほど「アイデンティティ」を多く持つことができるため、よりアイデンティティ形成に役たちます。国民国家や民族、宗教というのは「生まれただけでアイデンティティ」が保てるありがたい存在なんですね。

逆に言うと帰属するコミュニティが少なければ少ないほどコミュニティへの帰属意識が少ないほどアイデンティティとしてラベル付けされているものが少なくなる。

そして、その代わりに「所属以外」でのアイデンティティを求めるようになる。要は能力、経験、趣味嗜好です。

「絵が描ける、勉強ができる」、「海外留学に行った、ボランティア経験をした」など今の政治や社会が追い求めているものは大体そうです。

同様に現在のLGBT等の「性自認」や性加害の告白や告発もこれまた「アイデンティティ」のためと言っても過言ではない。要は「私はレイプされたから○○という人間なんだ」と「性加害を受けた私」というアイデンティティの確立のためなんですね。

こちらのデータでLGBTのそれっぽい傾向が見て取れます。

日本人の知らないアメリカ:アメリカのLGBT問題の解決を阻む保守派キリスト教徒「エバンジェリカル」とは=中岡望 | 週刊エコノミスト Online (mainichi.jp)

能力に対するアイデンティティへの依存度合いが高くなると「その能力や嗜好の維持」が何よりも優先されますので子供という「アイデンティティの疎外要素」は眼中に無くなってくる。

まさにこの様に「子供=能力や嗜好の犠牲=アイデンティティの犠牲」という認識になっていくのです。

共同体の作り方

まとめると少子化の問題はアイデンティティの拠り所の変化が遠因としてありそうです。

少子化解決の戦略としては2つ。
一つ目は「所属のアイデンティティによるコミュニティ存続から能力のアイデンティティの存続」にシフトする。

極端な話をすると文字通り「推しの子」であれば欲しい人は多いと思います笑。「自分のアイデンティティの拠り所」については維持する意志が出てくる。
今の世が「能力と経験をアイデンティティ」しているのであればそちらを維持する仕組みを作ればいい。

この時国という概念は崩壊しますし、日本人、アメリカ人というアイデンティティも喪失します。ざっくり「絵描き、プログラマ、推し活、レズ」という職業や趣味嗜好のサークルが残ります。
「企業国家」として政府の全ての役割を担うという政治体制にすればいい。トヨタという企業は病院、教育機関、保育園や老人ホームまで運営しているんが、さらには行政も担わせることで「国家」と同様に扱えばいい。

例えば、職業の変更を困難にすることでプログラマはプログラマとしてのコミュニティを維持する。つまりはプログラマ同士で子供を作ってプログラマという職業を維持するという仕組みをつくる。
LGBTコミュニティは他のコミュニティから子供を奪ったり、捨て子を拾うような神話内のアマゾネスみたいな維持の仕方になります笑

この制度だと中世の徒弟制度に逆戻りしただけです笑。といいつつも今に残る歌舞伎のような伝統文化はそうやって保ってきたわけですし、資産家や経営者は家族経営によってそれを維持していますよね。 

といいつつも、歴史や文化はそれを否定して今があるわけですので現実でない。

そこで、2つ目の作戦「アイデンティティの拠り所を戻す」しかない。つまり現存する社会構成体において「その集団内で“能力や趣味嗜好に関わらず“、存在を認められ生きていることを保証される」様にすることです。

若者への福祉を手厚くする、若者の税金を下げる、若者の地域活動を充実させる、若者の地域産業への参入の助成、Uターンの活性化や、若者への住宅補助等など。

極々普通の施策なんですが、うまくいっていない感はあります。その原因はまた長くなるのでここで一区切りで次に。


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