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365日以上連続でnoteを更新してきたが、自分は朝と夜とで書き進められる文章の内容に違いがあるという傾向が分かった。
比較的頭がスッキリしている朝はその場で思考を掘り下げつつ文章を書けるが、生物関係の記述を進めようとしても不思議とすぐに手詰まりになる。
そして夜になると、ある程度の疲労が蓄積している事もあり、思考を掘り下げようと頑張ってもすぐに手詰まりになる。
しかし脳内に記録されている生物関係の知識とそれに準ずる考察等はスラスラと出てくる。
こちらに関しては思考というよりも写経の如く書き写しをしているイメージに近い。
この一年の間に200以上の記事でビオトープや採集関係の話を書いたが、特にビオトープの記事などは画像を撮影した際に感じたものの書き写しなので、あまり考えずに文字数を稼ぐ事ができていた。
どれだけ眠くてもこれだけはある程度書ける。
恐らく、ビオトープを作っていなかったらすぐにネタに詰まっていた事だろう。
ここまでnoteを続けられなかったかもしれない。
いつの日か痴呆となった際には、生物関係の話を譫言のように語るのだろうか。
なんか嫌だな。何が嫌って、自分がそうなった際のかなり具体的なイメージが湧いてしまう。
自分は普段、話を振られでもしない限り、生物の話をする事などはほとんど無い。話しすぎてしまう事をセーブしている節がある。
このセーブ機能が痴呆によって完全に破壊されてしまった場合、次から次へと生物の話が止まらなくなるイメージが容易に想像できてしまう。
でもそれならまだマシな方で、人によっては露悪的かつ品性下劣なネットミームを発するモンスター老人となってしまう可能性もある。
そう考えると、脳内にネットミームが入り込む余地がないほどに生物知識を詰め込んでしまった方がお得なのかもしれない。
どちらかと言えば、真に危惧すべきなのは痴呆に至る前の段階で『教え魔』になる事だろうか。
突如公園に現れて、そこで遊ぶ子供達に聞かれてもいない虫捕りの指導をするようなおじさんになる事の方を危惧すべきだろうか。
「キミたち、そんなんじゃダメですよ😄」
「こうやって捕るんですよ😄」
「ボクは40年以上虫捕りに関わってきたんですよ😄」
と言い出すようになる事を恐れるべきだろうか。
多分、ここまで来たら己で己を止める事などは不可能なんだと思う。
教えたくて教えたくて仕方ないんだと思う。
そうなるくらいだったら
「老兵は死なず、ただ消え去るのみですよ😄」
と言いながらいつしか消えている老爺になった方がいいのかもしれない。
いや、普通に嫌だな。