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誘われる側の人間

私は今、水深10mの海の中にいる。
意図せず体が浮き上がる。
インストラクターの綺麗なお姉さんに息を吐けとジェスチャーをもらう。
お姉さんにおっけーとジェスチャーを返し、
息をゆっくりと吐く。
体が徐々に沈み、先ほどいた場所に戻る。

なぜ私は海の中で綺麗なお姉さんとジェスチャーでやり取りをしているのだろう。自室のベットの上にいた3日前の自分を思い出す。

私は焦っていた。
会社の夏季休暇で10日間の休みを手にしたものの、予定が1つも入っていない。
そしてもうすでに3日目に突入している。

なぜ予定が入っていない?
自分で予定を立てていないのはいいとして、
なぜだれも誘ってこないのか。

この世は誘う側と誘われる側の人間に分けられる。
1つの遊びに対して誘う人は1人になるため、2人で遊ぶ場合、50%は誘われる側になる。
3、4人で遊ぶ場合は誘われる側は70%近くになる。
ちなみに野球をやる場合、誘われる側は95%だ。
つまりこの世のほとんどの人は、
誘われる側=誘わなくても予定が入ってくる
ことになる。

なのに私には10日間で1件も誘いがない。
おかしい。
誘う側の人間はいったい何をしているのだろう。

考えられるのは誘う側の人間が「誘う」という仕事を放棄して1人で遊んでいるということだ。
自分が誘う側として生まれてきたことを忘れないでほしい。
ただこれよりも厄介なのが、
誘う側の人間が、誘う側の人間を誘って2人で遊んでいる場合だ。

かなりレアケースだが、これは誘う側の人間を一時的に減少させ、この世の遊びに対して誘う側の人間が足りなくなってしまう。それにもかかわらず誘わない側の人間の数は変わらないため、誘わない人間が必要以上に誘われない状況を作ってしまっているのだ。これは由々しき事態である。
私はこの状況を憂いながら苦手なコーヒーを一口飲む。

まぁしょうがないから今回は自分で予定を立てよう。
何かやりたいことはないか考えを巡らす。
やりたいことを意識的に思いつこうとしている時点でやりたいことなどないのではないかと思ってしまう。しかし、やりたいという気持ちは結局は人の真似から生まれるもので、参考にするものが目の前になければすぐに霧散するものである。
(初めて霧散と言う言葉を使ったのである。)

あまりにも思いつかないので、過去にやったことを思い出す。
そういえば去年の夏、沖縄でダイビングをした。深い海の中にいることが怖くもありつつ、普段米の上で泳いでる魚たちが海の中で泳いでいることが新鮮で、楽しかったことを思い出した。
そこで今回もダイビングをやってみようかなと思いつつも、できればなにか自分の歴史に残るようなことをしたいと思った。
そこでダイビングを調べているとどうやらライセンスというものがあるらしい。
ライセンスを取ればもっと深いところ、もっと神秘的な場所に行けるらしい。
最短で2日でとれるコースがあった。
よし、ダイビングのライセンスを取ろう!

綺麗なお姉さんが海の中でお寿司を握るようなジェスチャーをしている。
これは決してここにいる魚を海の中で捌いてお寿司にしよう!うまいに決まってる!これが本当の新鮮なお寿司だ!と言ってるわけではない。
これは残圧がどれくらい残ってるか確認しているのだ。
私は指で人差し指を立てて、さらにもう一回その人差し指を見せて最後にグーパンチを見せつける。残圧が「1  1  0 」という意味だ。決して「1回だけ、1回でいいから、殴らせて!」と言う意味ではない。

するとお姉さんは、人差し指と親指をくっつけて輪を作り、残りの三本の指を立てる。
これはOKという意味だ。これは陸と同じだ。

陸に上がり背中についたポンプを地面に置く。
今のダイブで2日間の講習は終わりだ。
1日目は、プール講習+海洋講習1本
2日目は、海洋講習3本
だった。激動の2日間だった。

インストラクターの女性が、「お疲れ様でした、無事ライセンス取得おめでとうございます。それでは駅まで送ります」と事務的な会話をする。
実はこの2日間このきれいなインストラクターの女性にワンツーマンで教えてもらって、私は彼女が気になっていた。けれど、僕たちはインストラクターと生徒の関係。そこには太平洋ほどの距離がある。
それを埋められない二日間でもあった。

また会いたい。
せめてご飯に誘いたい、
いやせめてLINEを交換したい。
せめて、と言いつつどんどん守りに入っている自分。
あっという間に、駅に着く。
言ってくれ。LINEを交換してくださいと。
頼むから言ってくれ!何度も自分にお願いする。
お願いされた自分もまた別の自分にお願いする。どんどん行動から離れていく。

そして、インストラクターのきれいな女性は帰って行った。

私はいつだって誘われる側だ。
彼女が誘う側じゃなかっただけなんだ。

そう言い聞かせて、
私はさらに深く心の海に潜ったのであった。


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