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連載⑦“あのとき“言葉があった ー人を笑顔にする言葉ー

私は研修講師などの仕事で、初対面の人が集まってグループワークをするとき、最初に自己紹介をしてもらいます。そのときは
「まずは自分の名前と、その次にみなさんのいちばん好きな食べ物を言ってくださいね」と言います。そういうとなぜか笑い声が起きます。
「好きな食べ物なんて、小学生じゃあるまいし」みたいな笑いも含まれていると思いますが、やってみると自己紹介の時間は絶えず笑い声があちこちから聞こえます。おもしろいから笑っているというよりも、好きな食べものを話すときに思わず「ムフフ…」と笑ってしまう方が多いようです(とくに女性がその傾向が強い気がします)。

女性が多いときは「好きなスイーツ」というとかなり場が和みます。食べ物に限りません。「好きな飲み物」「好きなアイドル」「好きなファミレス」「好きなスポーツ」……なんでもいいのです。大学の授業のたびにこれをやると自己紹介だけで盛り上がってなかなか授業に戻れないこともあります。

これをやり始めたのは、私がファシリテーターの資格を取るための授業を受けたときにその先生がされていたからです。私も最初それを聞いたときは「大の大人が好きな食べ物を自己紹介で?!」と思いました。

でもその先生は「自分の好きな食べ物を聞かれて怒る人ってあんまりいないでしょ」っておっしゃって、それもそうだと妙に納得しました。それと大人になると仲のいい人でない限りあまり自分の好きなものを人前で話すこともありません。だから照れもあって笑ってしまうってこともあると思います。

自分の好きなものを話すことは「自己開示」にあたります。自己開示のハードルは人によって差がありますが、自己紹介のときに少しでもそのハードルを下げるという効果もあると思います。

それでも、まれに「とくにありません」とつっけんどんな人もいます(どちらかと言えば男性の年配者に多い印象)。たぶん「そんなことを発表してなんの意味があるんだ。研修には関係ないじゃないか」みたいなことを思っているのかなと察するのですが、じつは研修にも関係が少なからずあります。

いや、研修に限らず周囲の人との「関係構築」にかかわります。そういう方は自己開示が不得意なのかもしれません。自己開示は心の窓を開けるようなものですから、自分の窓を開けないと外から理解されないだけでなく、自分も外の景色(つまり他人のこと)も見えません。当然、関係構築にも時間がかかることになります。

ですから「好きな食べ物」を自己紹介で話してもらうことは、その人の「自己開示度」を知るにも役立つなと私は感じています。

「私の好きなもの」というと「my favorite things:私のお気に入り」という大好きな歌があります。これはもう今や古典的名作と言われるかもしれませんが1965年公開のアメリカの映画「サウンド・オブ・ミュージック(Sound Of Music)」の中で登場します。この話は実話をもとに第二次世界大戦前のオーストリアでジュリー・アンドリュース演じるヒロイン、家庭教師のマリアが厳格な退役海軍大佐の家にやってきて7人の子どもたちを音楽を用いた教育法で育てていくというものです。序盤にまだマリアに心を開かない子どもたちが雷鳴と稲妻をともなう嵐の夜にこわくなってマリアの部屋に集まってきます。そこでマリアがみんなの気持ちを落ち着かせるために歌ったのが「マイ・フェイヴァリット・シングス」です。

自分のお気に入りのものについてうまく韻を踏みながらちょっと切ない短調のワルツに乗せて歌い出すのですが、それがいつの間にか長調の明るい曲調に変わっていくのです。それにつれて子どもたちの顔も笑顔に変わっていきます。
この歌詞、ご存じですか。これが本当に素敵なんです。ちょっとご紹介しますね。


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バラの花に載った雨つぶ、子猫のひげ
ピカピカの銅のケトル、暖かなウールのミトン
紐で結わえた茶色の包装紙の包み
これらは私の好きなもののうちのいくつか

クリーム色の小さな馬、リンゴを包んださくさくのお菓子
ドアの呼び鈴、そりの鈴音、子牛のカツレツ、パスタ添え
月あかりを浴びて空をゆく野生の雁たち
これらもみんな私の好きなもの

青いサテンのリボン、白いドレスの女の子
鼻のあたまやまつ毛にふわりとののる雪
白銀の冬が春に溶けてゆく
これらもみんな私のお気に入り

犬に噛まれたとき
蜂に刺されたとき
悲しい気持ちになったとき
私はただ思い出すの、私の好きないろんなもののこと
そしたらそんなに悪い気分じゃなくなるの
(日本語訳詞:もりちよこ)
※映画もぜひご覧ください。平原綾香さんのアルバム「Winter Songbook」(2014年)にも「私のお気に入り~My Favorite Things」は収録されています
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この歌詞にある「私のお気に入り」は、ごく個人的な体験や思い出によって選ばれています。「子猫のひげ」は昔飼っていたペットでしょうか。「紐で結わえた茶色の包装紙の包み」は子どものころにもらった思い出のプレゼント? 「リンゴを包んださくさくのお菓子」「子牛のカツレツ」はクリスマスのパーティでしょうか。「ドアの呼び鈴、そりの鈴音」はだれかお客さんを楽しみに待っているときにワクワクしながら聞いた音……。

この言葉の後ろには過去の幸せなひととき、またはこれから訪れる楽しみな未来があるのでしょう。それを思うと「そしたらそんなに悪い気分じゃなくなるの」となります。

この歌を聞くと、たとえ目の前に嵐があったとしても、自分の楽しかった思い出やこれから起きる幸せを感じる時間などを具体的な言葉にすることによって、心の中に安堵や幸せを感じることができるのだと思えます。現実はそんなに簡単なことではないかもしれません。しかし、だからこそマリアは子どもたちの心に安堵や幸せの灯をともそうと歌ったのでしょう。

人を笑顔にする言葉は、あなたの不安な気持ちはわかるよ、だから少しでも取り除いてあげたい、楽しくさせてあげよう、つらいことより楽しいことに目をむけてほしいな、きっといいこともやって来るよ……そんな思いによって生み出されるように思います。
逆に自分を笑顔にするためには、目の前の現実は現実としながらも、自分の心に安堵や幸せの灯をともそうと臨むことがたいせつではないかと思います。


プロフィール
●松井貴彦(まついたかひこ):Tomopiiaアドバイザー。国家資格キャリアコンサルタント。同志社大学文学部心理学専攻(現心理学部)卒。リクルート、メディカ出版、会社経営を経て「ライフキャリアコンサルタント」としてナースを主とした医療従事者、シニア世代のビジネスマンのキャリアコンサルティング、研修、カウンセリングを行う。また大学講師として「キャリアガイダンス」「経営学」「社会学」の教壇に立つ。著書に「家で死ねる幸せ」(どうき出版)「正しい社内の歩き方」(ベストセラーズ)「よくわかる部下取扱説明書」(文香社)など。



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