見出し画像

連載⑧“あのとき“言葉があった ーテクニックより心と態度ー

本連載は言葉の重要性をテーマに毎回お届けしています。しかし、今回は対人関係においてその言葉が通じなかったとき、言葉に代わって何が大切なのかを恥ずかしながら最近の私の失敗を紹介しながら書かせていただきます。

今年の夏、私は家族とともにイタリア旅行に行きました。この旅行はもう何十年か前にした家族との約束でした。還暦を過ぎて元気なうちに果たしておこうと思ったのです。春から準備を始め健康にも留意して毎日ウォーキングをしました。その甲斐あって旅行は多少のアクシデントもありながら、後は帰国するのみというところまで楽しく過ごすことができました。

帰国の日、早朝6時半に飛行機でフィレンツェを立ちました。大阪への直行便はないのでいったんパリ(シャルルドゴール空港)でのトランスファー(乗り換え)があります。予定どおり8時半にはパリに到着し13時半発関西国際空港行きの便に乗るまで5時間あります。私はそのとき脇腹に原因不明の痛みを少し感じていたので、早めに搭乗口(M)に行き寝そべれるベンチで横になりました。一休みすると痛みはなくなりました。ゆっくり過ごして搭乗時間の30分ほど前になりました。しかしどうも様子がおかしいのです。搭乗案内もないし待合ベンチ周辺に人が少なすぎます。不審に思った家族が航空会社のカウンターに確認に行きました。すると驚いたことにわれわれの乗る便は当日の朝に「搭乗口が変更」していたのです!

シャルルドゴール空港はめちゃくちゃ広い空港です。変更された搭乗口(K)までは空港内の電車に乗って2駅、そこからバスで飛行機まで移動しなければなりません。すぐに荷物をもって走りました。私の荷物は息子がもってくれました。息を切らせて電車に乗り込み搭乗口(K)に着きましたがそこから今度は手荷物検査です。出発時間は迫っていますが検査官が便宜をはかってくれることはありません。それどころかフィレンツェの空港では引っかからなかった私の手荷物がはじき出されました(オリーブオイルとバルサミコ酢が引っかかりました)。そのとき先にバスに向かっていた家族から連絡がありました。「無理でした」と。私たちが乗る飛行機は出発してしまったのです。

「えーっどうしよう!」私は一瞬途方に暮れましたが、とにかくなんとか次の便に乗れないかと近くにいる航空会社のスタッフに片言の英語で助けを求めました。スタッフは首を振りながら「ここではどうしようもない。案内カウンターへ行け」と言います。案内カウンターに行くと「チケットの取り直しが必要だからチケットカウンターへ行け」と言われました。
仕方なくまた空港内の電車に乗ってチケットカウンターまで戻りました。途中、日本の旅行会社に相談の電話を入れましたが「搭乗口の変更は海外ではよくあること。たぶんフランス語と英語でのアナウンスと掲示板での表示はあったはず。チケットの無償交換はむずかしいと思われるが、まずはチケットカウンターで事情と希望を告げよ」とのことでした。

交渉は難航しました。チケットカウンターの女性はたいへん好意的でしたが、フランス語はもちろん英語もおぼつかない私がこちらの事情と希望をうまく伝えられるはずがありません。途中、カウンターの奥から上司と思われる男性が出てきましたが、無情にも首を横に振り続けるだけです。私はとにかく「家族4人を、関西国際空港まで、無償で、早い便で帰らせてほしい」ということを片言の英語で言い続けるしかありませんでした。カウンターの女性もどうにかしてくれようと手を尽くしてくれて家族バラバラにはなるが翌日の4席を確保してくれました。しかしこれは有料だと言います。私は「無償でお願いします」とまた片言の英語で頭を下げました。

彼女は困った顔をしましたが、ひらめいたように顔を上げ受話器をとり誰かと話し始めました。そして、途中で私に受話器を渡してきました。私は驚きながらも受話器をとると「もしもし私は〇〇航空、空港内事務所の△△です」と日本語が聞こえてきました。やった、日本語です!

「搭乗口変更に気が付かなかったことは全面的にこちらのミスです。どうか明日の便で帰らせてほしい」と祈るような気持ちで伝えました。すると「折り返し電話する」と言っていったん電話は切れました。5分ほどして電話があり「特別にチケットは手配できた。しかし約60万円強の有料になるがそれでもいいか」とのこと。私は「たいへんお手数をお掛けして申し訳ありません。それを無償にしてもらうことはできませんか」と無理を承知で伝えました。すると彼女はしばらくの沈黙の後「そこのチケットカウンターでできるサービスはこれで最大です。今から私がそちらに向かいますのでチケットカウンターの外で待っていてもらえますか」とのことだった。私は言われるままに外に出た。待つこと約30分。眼鏡をかけた小柄で知的な女性が現れた。

「日本ではまれかもしれませんが、搭乗口の変更はこちらではよくあることです。しかも本日はイタリアからの便の到着時刻にはすでに掲示板でお知らせもしていました。したがって無償でのチケット交換は原則できません」。
あぁ、万事休す。
しかし彼女はそう言った後に少しほほ笑んで「今回は特別に上司に許可を得ましたので無償とさせていただきます。ご家族4席を並びで確保できました。ただし本日のホテル代は自己負担でお願いします。どうか気を付けてお帰りください。」と言ってくれたのです。もちろんその夜はホテル近くのスーパーでワインを買って部屋で祝杯を上げました。

帰国後、何人かの航空事情にくわしい人にこの話をしたら、異口同音に「無償になるなどふつうではありえない。いったいどんな交渉をしたのか」と言いました。交渉などしていません。私はひたすら自分の非を認め、困っている姿を隠さずにお願いをしただけでした。

すると海外生活の長い先輩が教えてくれました。「たぶん言葉が通じない分、自己弁護や主張をせずに素直に自分の思いと希望だけを訴え続けた姿勢が相手に伝わったのだと思うよ」と。
なるほど。もし最初から日本語が通じたら私はきっと自分に有利になる言葉を並べ相手を説得しようとしていたでしょう。言葉が通じなかったからこそ、私の心が素直に態度に出たのかもしれません。


プロフィール
●松井貴彦(まついたかひこ):Tomopiiaアドバイザー。国家資格キャリアコンサルタント。同志社大学文学部心理学専攻(現心理学部)卒。リクルート、メディカ出版、会社経営を経て「ライフキャリアコンサルタント」としてナースを主とした医療従事者、シニア世代のビジネスマンのキャリアコンサルティング、研修、カウンセリングを行う。また大学講師として「キャリアガイダンス」「経営学」「社会学」の教壇に立つ。著書に「家で死ねる幸せ」(どうき出版)「正しい社内の歩き方」(ベストセラーズ)「よくわかる部下取扱説明書」(文香社)など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?