見出し画像

連載④“あのとき“言葉があった ー「焼肉食べたい」は本心じゃないー

会話の中で出てくる「~したい」という言葉。本人がそう言うならかなえてあげたいと思いますよね。でもその言葉をそのまま受け取って実現してもご本人にはそれほど喜んでいただけなかったという経験はありませんか? 今回はある看護部長さんから聞いた「焼肉を食べたい」とおっしゃった「おじいちゃん」の話を紹介します。

70代のYさんは長期入院中でした。入院当初は奥さん、お子さん、お孫さんがお見舞いに来てくれていました。しかし入院が長引くにつれてその頻度が減ってきました。Yさんがさみしそうにしている姿を見て、担当の若い看護師が時間を見つけてはYさんのところに話をしにいく機会を増やしたそうです。するとYさんも喜んでいろいろ話をしてくれるようになりました。
ある日、その担当看護師がスタッフミーティングで「今日、Yさんが退院したら焼肉を食べに行きたいとおっしゃっていました。だんだん食欲が出てきたみたいです」と発表しました。
Yさんのことを心配していたチームのメンバーも喜び、「それではYさんが焼肉を食べられるようにみんなでサポートしていきましょう」という話になりました。そこで食事の際はYさんの咀嚼(そしゃく)力はあるか、食べ残しはないか、などを注意して見るようにしました。医師にも「Yさんが焼肉を食べられるようになることが今の私たちの目標なんです」と伝えて協力を得られるようにしました。
あるとき、看護部長も気になってYさんのベッドサイドに行ってみたそうです。するとYさんは「みなさん私が焼肉を食べられるようにいろいろ気を使ってくれるのはうれしいんですが……」。Yさんが言いよどんでいるので看護部長が「どうかされましたか」と聞きました。すると「今さら言いにくいのですが、私はそれほど焼肉が食べたいわけではないのです」というのです。「あら、そうなんですか」、思いがけない言葉に驚いて看護部長が聞くとYさんはぽつりぽつりと語りはじめました。
「私がまだ元気なころはお盆や正月には親戚みんなが集まって家族で食事に行ったものです。孫が中学に入って野球を始めまして、食べ盛りになったので焼肉に行くことが増えました。するとね、ふだんあまりしゃべらない孫がそのときは嬉しそうに野球の話をしてくれるんですよ。私はそれがうれしくてね、またみんなで焼肉でも食べながら孫やみんなの話が聞きたいなと思ってね。それで焼肉が食べたいって言ったんです。みなさんには悪いことしちゃったなと思って言えませんでしたけど」とYさんは少し照れたような顔で話してくれたそうです。
そこで看護部長は奥さんにその話をしてご家族のお見舞いの回数を増やしてもらいました。そして退院時期の目標をYさん、ご家族といっしょに立てました。その甲斐あってYさんは治療に専念して予定どおりに退院することができたそうです。
このエピソード、後から聞くとほほえましく聞こえますが意外に対話のなかで起こりうるすれ違いのように思います。人って本心をストレートに言う人もいれば、遠回しに言う人もいます。
とくに病気の治療中だとか入院中だとかで「家族や周囲に迷惑を掛けている」といった意識があるときには、たとえ「もっとお見舞いに来てほしい」「さみしい」という思いを持っていても遠慮がちになってしまっていたり、さらにみんなに迷惑をかけてはいけないという思いから強がって見せることもあります。
先の事例でYさんが本心を言えたのは、看護部長という第三者の登場が大きかったと思われます。若い担当の看護師さんは一生懸命にYさんのことを考えていたがゆえにYさんの本当の「ニーズ」をとらえられなかったのではないでしょうか。
ものを見るとき、あまりに近くに寄りすぎると全体像が見えにくくなるように、対話の際も相手から出てきたわかりやすい言葉にだけフォーカスして飛びついてしまうと、相手が本当に言いたいことを見逃してしまうことがあります。キーワードが出てきたらその周りや奥にある背景もよく掘り下げていくことが、そのニーズの本質を知ることにつながります。
Yさんの場合だと、たとえば「よく行かれた焼肉のお店があるのですか」「お肉で好きな部位はありますか」「だれと食べた焼肉がおいしかったですか」「焼肉にまつわる思い出とかあるんですか」といったキャッチボールをしていたら焼肉そのものが好きなのか、焼肉を囲んだ食事の場が好きなのか、焼肉と関連した思い出を懐かしんでいるのか、わかったかもしれません。
そういった対話の深掘りは人生経験の豊富さがものをいう場合もあります。自分の経験と重ね合わせて「この言葉の裏にはもしかしたらこんなことを思っているのかな」という想像力が働くと次の質問が生み出せるからです。とは言ってもその場合も自分の思い出を押し付けるような質問をしたり、誘導したりするのはよくありません。一方的に相手との距離を縮めようとすると本質が見えなくなる可能性があります。


プロフィール
●松井貴彦(まついたかひこ):Tomopiiaアドバイザー。国家資格キャリアコンサルタント。同志社大学文学部心理学専攻(現心理学部)卒。リクルート、メディカ出版、会社経営を経て「ライフキャリアコンサルタント」としてナースを主とした医療従事者、シニア世代のビジネスマンのキャリアコンサルティング、研修、カウンセリングを行う。また大学講師として「キャリアガイダンス」「経営学」「社会学」の教壇に立つ。著書に「家で死ねる幸せ」(どうき出版)「正しい社内の歩き方」(ベストセラーズ)「よくわかる部下取扱説明書」(文香社)など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?