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映画「鹿の国」都会と田舎、子供達と精霊。

娘2人は田舎のおじいちゃんの家に行くのが大好き。

今、住んでいる場所は都会で街並みが整っている。

都会は確かに住みやすくて交通の便利もよく、車がなくても何分に一本で電車が止まる。

現に奥さんの両親は車の免許は持っていない。

働く若い同僚も車の必要性はどこにあるのか。

分からないから、免許を取るかどうか悩んでいると話す。

田舎で育った僕達は車の免許がないとどこにも買い物も遊びにもいけない。

車の免許は悩むどころか必須の状態。

働く都会の同僚に、車は世界が広がる架け橋みたいなものだと伝えた。

田舎の自分にとっては、生活のためだと自負している。

都会と田舎でこれほど生活に差があり、価値観が違うのはなぜか。

子供が田舎好きなのはなぜか。

「鹿の国」と言う映画をみた。

諏訪大社、ミシャグジ、自然の循環、穢れと祈り、人間と地球、神と地球、鹿と自然。

一年を御室の中で循環し感謝をして祈る。

鹿の頂きは人と精霊が一体になる。

生と死が人間の中で融合するよなもの。

石、木、水、土、火、神の宿る場所。

植物や動物で循環する神の営み。

縄文から続く。

思う。

縄文より最古から続く精霊精神。

そこに人が住むと言うことの大切さ。

地球がもともとあり、

そこを少しばかり借りていた、

人間模様が感じとれた。

この循環の中に新しく宿った子供達。

選ばれた生き神。宿す子供。

娘の七五三参りの時に宮司さんから言われた言葉を思い出す。

七歳までの子供達には神様が宿っておいでです。

なので、手が焼くかもしれませんが、神のこごととして見守るのも良いかと思います。

子供達が田舎で自然が好きな理由が見えてきた。

この最古から循環している精霊精神の帰る場所は自然豊かな土の場所。

鹿の国をみて自転車に乗り、漕ぎながら都会で、その土の場所を探してみた。

整列されたビルや家屋、マンションに道路のアスファルト。

道路の横に等間隔で並ぶ街路樹、川の堤防に敷き詰められた土。

この都会では、植物までもが仕事をしている。

人間だけでなく、都会を構成している物質、全てが仕事をしている。

ここに精霊がいれば、精霊も仕事をしているであろう。

この都会に身を置いていいる自分は、仕事をしている物質に囲まれてベットの上で寝ている。

本当に体が休めているのか。

多分、寝ながら自分の物質である身体は仕事をしているのであろう。

生きながら仕事をしている一部である。

疲れがとれないのはそれが原因か。

田舎に帰ると思うことがある。

時間がゆっくりに感じるひととき。

多分、その差は、都会と田舎、周りの環境の せわしなさ なのだろ。

田舎の精霊は仕事をしていない。

都会の精霊はどこに行ったのだ?

戦後の復興を遂げた日本は急速な都市開発が進み高度成長期。

先祖が大事に守ってきた土地を高値で売り都市開発が進んでいく。

人間が何億、何兆かけてとんでもない価値あるビルやマンション、交通路を作り出した。

こうして都会が発展していく。

精霊はどこに行ってしまったのだろう。

考えながら足元をみた。

このアスファルトの下に押し込まれて、もう動けないのではなかろうか。

以前から、家主や先祖達に守られてきた自然豊かな土地、畑や田んぼ、森林、川のせせらぎ。

取り返すことのできない。仕事をしない精霊達。

私たちは何億、何兆もかけて作ったきたとんでもない価値ある都市社会。

その下に虐げられて精霊達が眠っている。

その上に僕が立っていた。

この下に本当は何億、何兆より価値のあったとてつもない自然豊かな土地。

都会の中でも畑や田んぼが少しばかりみられる場所がある。

そこにはきっと、そこの家主が守り抜いてきた精霊達がいるはずだ。

そういう場所を探しながら、都会を自転車で帰ってみよう。

そう思う。今日この頃。

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