スピーチ

海外に赴任して最初に行うことの一つにスピーチというやっかいなものがあります。全体朝会で全社員の前で行ったり、部門の中での最初の顔合わせで行ったり、場面はいろいろありますが、このやっかいなイベントは乗り越えなければならない最初の関門です。こういう場で、一体何をどのように述べるかは、難しいものです。日本語でも難しいのですから、外国語ではなお更です。私も誰かに「どうやったらよいスピーチが出来るのか」を今でも教えて欲しいぐらいですが、「教えてやろう。」と言ってくれるやさしい先輩にも巡りあえず、また、振り返ってみても先輩に教えを請うたこともありませんでした。今でも自信がありませんし、満足いく事は滅多にありません。
海外では、こうした場面でどのような内容をどのように述べるか、というテーマそのものが異文化コミュニケーションにおける最初の命題を解くようなものです。
これまで聴いた様々な自己紹介スピーチの内容を思い出しても千差万別です。
自分の過去の経歴を事細かく延々としゃべる人。(「おいおい、そこから話し始めるかよー。」と思った後は、腕時計に目がいってしまいます。)
自分の英語がいかに下手かを本当に下手な英語でしゃべる人。(「そんなの聴きゃ分かるわ!」と突っ込みを入れたくなります。)
「まったく経験のない世界ですので皆さんにご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうぞご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。」という日本人の常識的挨拶をそのまま現地人にしゃべって、現地人を不安顔にさせる人。
仕事のことそっちのけで趣味や家族の事を楽しそうに話し、自分の人柄をまずはアピールする人。(こういうタイプの人は、余りにも楽しそうにご本人がしゃべるものですから、内容はさておき人柄の良さは印象に残る場合が多いように思います。)
スピーチのスタイルを取っても、千差万別です。大まかな内容だけ頭の中で組み立てて、ぶっつけ本番で勢いにまかせてしゃべる人、一字一句間違えないよう原稿を一生懸命読んでいる人、要点メモは用意しておいて、たまに確認するようにそのメモに目をやりながら、出来るだけ前を向いて話そうとする人。
笑いを誘う内容を意識的に織り込む人、まじめな内容で一貫する人、プライベートを積極的に公開する人、プライベートな内容はフォーマルな場で述べることを嫌う人。
聴いている人は、こういったいろいろな要素(見た目、目の配り方、声の大きさ、声質、話す内容、話し方)を五感で感じ取って、あなたという人がどういう人なのかを判断するのです。
このようにスピーチは正にその人の人柄を表すように千差万別ですが、そのようなスタイルや内容に関係なく、私が人のスピーチを聴くときに使う「物差し」を紹介しましょう。

すべての人は二種類に分けられる。聞き手の意識に注意を払う人と、注意を払わない人に。
緊張して内容を伝えるだけでイッパイイッパイだよー、というのが本音でしょうが、相手を意識し、意識していることが相手にも伝わることが大切だと思います。
ことばを伝える以上に、情緒を伝達し共有することが大切です。
相手を意識するということは、相手を受け入れることです。

こういうスピーチでいつも笑いを取る人が皆さんの周りにもいると思います。小学校のクラスにも必ず一人こんな人気者がいたものです。こういう人は「受けばっかり狙ってー」とからかわれたりしますが、受けを狙うという行為そのものが、相手の事を思い、相手が何を喜ぶかを一生懸命考えることでもあり、笑いの天才は、コミュニケーションの達人です。私は残念ながら笑いの才能を親から譲り受けておりませんので、こういう人のスピーチを聴くと、とてもうらやましく感じます。是非そういう天才にこそ、物語を書いてもらいたいものです。多分「センス」の一言で片付けられてしまうでしょうが。「センス」が無いから、こういう事柄に悩み、こうして物語を綴っているのかもしれません。
笑いを取るセンスがないのに、無理に笑いを取りにいく必要はありません。すべると逆効果です。すべる自分を曝け出すことで愛嬌を表現をする、という高度な技を使いこなす人は別ですが。
たとえ堅い内容を、予め用意した原稿を読み上げるにしても、内容を伝えたいという意思が相手の五感に届くよう、何らかの「エモーショナルな要素」を「アタッチ」した方が良いでしょう。
具体的に一つの方法を紹介します。自分の述べたい核心部分に入る前に、いったん顔を上げて聴衆を見渡し、一呼吸おいた上で強い調子でメッセージを読み上げ、その後もう一度顔を上げて聴衆を見渡しそれが伝わっているかどうかを確認する。聴衆が分かったような顔をしていれば良し。そのときには、みんなが理解したことがあなたに伝わったことへの満足表現として、あなたも笑顔で頷いてみるのもいいでしょう。もしみんな退屈して眠そうな顔をしていたら、その部分をもう一回繰り返しましょう。
スタイルは人それぞれですが、何らかの

「エモーショナルアタッチメント」

を自分なりに工夫して取り入れてください。数々の失敗を繰り返して、自分なりのスタイルが出来上がって行くものですので、失敗を楽しんでください。
原稿を用意するかどうかについてですが、私の今のスタイルは、全文の原稿をいったん書き上げ、それを数回口に出してしゃべってみて、口に乗りやすい表現や心地よいリズムに整えた上で、本番ではできるだけ原稿を読まずにしゃべるようにしています。内容はもちろんですが、リズムに気を遣っています。Thatのような関係代名詞は、目で読んだ時にはスマートに見えても、口に出してしゃべってみるとまどろっこしく感じる時もあり、そのような時はできるだけ短文に分けるようにしています。
昔は、原稿は用意せずキーワードだけ書いた紙を用意して、即興でしゃべるようなスタイルを取っていました。この利点は相互コミュニケーションが取りやすいことです。聴衆とアイコンタクトしながらしゃべりますので、反応がダイレクトに伝わります。一方、このスタイルですとどうしても内容と表現が乱雑になりがちです。WellとかYou knowとか、Basicallyといった、内容の無い、間を埋めるための英語表現が増えて散漫なスピーチとなってしまいます。こういった反省から、私なりの落としどころとして今のスタイルに落ち着いています。皆さんも自分なりのスタイルを模索しながら確立して行ってください。そのスタイルそのものがあなたの個性表現ですから。

もう一つの事例を、私が責任者として赴任した際の情報部門でのスピーチを例に取りながら紹介しましょう。
私はポリシーとして「カスタマーファースト」「コミュニケーション」「フェアネス」という三つの基本的なディシプリンとその考え方を述べ、全員と共有したいと考えました。その中でも中心を成すのは、「カスタマーファースト」です。これが中心理念で、あとの二つはその実践上の行動基準です。
最初に「カスタマーファーストが最も重要だ。」と力強く述べた後、全員の顔を見渡しました。幸運な事に寝ている人は一人もいませんでした。でも、寝ているに等しい顔つきをみんなしています。一割ぐらいの人が頷いていますが、その頷きもお愛想のようなものです。予想通りの反応を確認したうえで、「ところでカスタマーファーストのカスタマーって誰だ?」という質問を投げかけますと、みんな目の色が明らかに変わり、眠りから覚めたような顔をしています。でもまだ二人ほど眠そうな顔をしています。さらに「みんなどう思う?」とみんなの顔を順番に映画のカメラがゆっくりとパンするように百八十度見渡すと、今度はみんなの身体が身構えているのが分かります。ひょっとしてあてられるかも、と感じ大変不安そうな表情をしている人もいるかと思えば、自分はもう知っているよ、というしたり顔で、こちらにアイコンタクトしてくる人もいます。私にとって、もっとも愉しい瞬間です。このように、疑問を最初に投げかけて聴衆の意識を喚起する、というのはファシリテーションやプレゼンテーションにおいても良く知られたテクニックですので、広く活用できるでしょう。私が質問形式にしたのは、一つは目を覚まし注目を集めるという効果を狙ったのですが、本質的な狙いはやはり「お客様」とは誰なのか真剣に考えてもらいたい、そしてスピーチの後では全員が「お客様とは誰なのか」について共通理解を確立したいという強い目的意識がありましたので、この質問は非常に重要でした。何人かを指名して意見を述べさせると「ユーザー」という意見や「商品を買ってくれる人」や「ディーラーと消費者」という意見が出てきました。
その次の私の質問は「君たちの家族はお客様か?」というものでした。二問目ともなると、場の雰囲気も和み、わいわいがやがやと意見を言い合う雰囲気が生まれます。この『わいわいがやがや』こそが私の狙いでしたので、この質問は大正解でした。みんなのテンションが高まり、部屋全体を覆う『調和』を肌に感じましたので、そのまま結論部分に持って行きました。「私の考えるお客様とは『自分以外のすべての人』です。私の妻も子供も私のお客様です。皆さんも私のお客さまです。」すると、「えー!子供?」と思わず声が出て、笑いが生まれました。。私はこのコメントに対しては、「そう、子供もお客様。でも、もし子供が親に向かって『ぼくはお客様。パパ宿題して~っ!』って言ったら、猛烈に腹が立つと思う。」と返しました。ここで、どっと笑いが起こりました。細かい会話上のテクニックなのですが、わいわいがやがやでは、話題が中心線から脱線しがちです。自分の子供が自分のお客様かどうかは、とても面白いテーマですが、そこを議論する意味はここではありません。こういう場面こそ「ユーモア」がとても有効なのです。相手の意見を受け止めながら、その議論に立ち入らないように「ユーモア」と「笑い」でいったん議論にピリオドを打つ。音楽で言えば、休止符を配置するような感じです。
こうした全体のウォーミングアップを経て、全員の集中力を高めたうえで、中心議題である自分が考えるカスタマーファーストについて述べました。また、導入部分の『わいわいがやがや』が、次の主題である「コミュニケーション」そのものであり、かつその実践例を示すためにあえて構成上計算されて冒頭に配置されていたことに、聞いている人達は後から気づくのです。

このように考えますと、スピーチの内容や構成を考え、それを発表する行為というものは、効果音や演出含めた一人芝居の台本を書き、演じるようでもあり、聴衆をオーケストラの楽団員と考えれば、個々の楽器の調和で素晴らしい音楽を作り上げるシンフォニーの作曲や指揮のような作業にも似て、極めてクリエイティブかつアーティスティックな営みに思えます。

皆さんも自分らしさがアピールできる創作活動に悩み、苦しんでください。
そして楽しく演じてください。

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