あなたはお客様の冷蔵庫を開けましたか?

製造業で良く使われるフレーズに「現場・現物」や「現地・現物」があります。これに「現実」を加えて「三現主義」とも言います。事務机にかじりついて練り上げた「机上の空論」ではなく、現場に身をおいて、五感を通じて感じ、現場の人との対話を通じて気づきを得て、そこから課題設定を行い、解決方法を生み出すのです。
私も駆け出しの頃に、「そのアイデア、現場の人は何て言ってる?」と上司に聞かれ、「いえ、まだ現場には行っていません。」と答えると、「ダメだ、まずは現場に行かなきゃ!」と叱られたものです。工場の現場、販売の現場、保守の現場、物流の現場、伝票処理の現場とあらゆる現場に身を置くことで、まずは自分の体温を現場の温度感に合わせ、現場の人の気持ちに共感する、という部分が前段部分としてあって、そこで感じた違和感や気づきから課題が何かを発想するように訓練されました。

しかし「現場・現物」は教わったものの、現場に行った後、どのように自分が振舞えば良いのかについては、詳しく教わった覚えがありません。「現場に行けば分かる」という大雑把な指導だったように思います。「現場に行け、行って自分で感じろ」と言うのは確かにそうなのですが、なんとも曖昧な指示ですね。新人から「現場でどうやって学びを得れば良いのでしょうか?」と聞かれて、「行けば分かる」から始まり「私が若い頃はだなぁ、現場のおっちゃんに怒られながらだなぁ、自分で見て自分で考えてだなぁ(以下略)」と昔語りをしたところで、新人から見れば、古ぼけたスナックであなたの昭和歌謡を無理やり聞かされるようなもので、部下との断絶は深まるばかりです。現場のフィールドワークのやり方について、しっかりとした方法論を教わった人は良いのですが、もしそうでなければ、このような上司と部下との認識のギャップを埋める橋渡し役として「デザイン思考」を共通言語として使うことをお勧めします。

「デザイン思考」は「現場・現物」を包含しながらアップデートする包括的な概念だと私は思っています。私としてはこれを「現場・現物2.0」と命名したい。「現場・現物」の重要概念は変える事なく、そこに足を運んだ後にどのように「フィールドワーク」や「インタビュー」を進めるかのノウハウ含めて、極めて実践的なアドバイスが網羅的に用意されています。学術的な本も良いのですが、実業を通じた実践事例が豊富なIDEOの事例に触れる事をお勧めします。トム・ケリーやティム・ブラウン、日本では石川俊祐さんの本などから学ぶことができますので是非手に取ってください。

デザイン思考の事例の中で、私が特に好きな事例が家庭向けの食品開発の事例です。お母さま方へのグループインタビューで「家族の健康を考えてオーガニックな食品を」と答えた方のお宅を実際に訪問して、キッチンの冷蔵庫を開けたらそこにあるのは冷凍食品だらけだった。インタビューの結果、お母さまとしての理想はオーガニックだが、忙しく時間がないため冷凍食品に頼っていることが分かった。グループインタビューの意見だけでもし商品づくりを進めていたら、本当に必要な商品が作れなかったが、時間のないお母さまの生活ニーズを現場で理解し、それに即した商品づくりを進める事で新商品が成功した、という事例です。

この話しにおける「お母さま」を「現場のシステムユーザー」や「システム構築を依頼してきたお客様」に置き換えて考えてみてください。その人達を会議室に集めてグループインタビューで出てくる意見と、現実の課題にはギャップがあるはずです。「冷蔵庫を開ける」という行為は、自分の見られたくない「現実」を他人に見せる行為です。また、冷蔵を開けられるのは、普通は身内の人間だけです。信用されない他人は決して冷蔵庫を開けることはできません。あなたが、現場で行うことは、まさにこの「冷蔵庫を開ける」ことなのですが、そこに至るには、相手の心を揺さぶるような身体全体からあふれ出す「熱意」と、決して上から目線で人を眺めるようなことをしない「素直さ」や「愛嬌」も必要です。そうして相手の懐に入り込み「身内認定」を受けて、晴れて「冷蔵庫を開ける」ことが出来るのです。現場に行ってやることは、この比喩における冷蔵庫にあたるモノやコトが何で、それがどこにあるのかを見定めることです。

「冷蔵庫を開ける」瞬間があなたが希求すべき顧客との真実の瞬間です。そしてそれはあなたと顧客が共に開く成功への扉なのです。

あなたは今日、お客様の冷蔵庫を開けましたか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?