「働く」ってなんだろう
「トモノリさんは、『自分が働く』ことを少し考えたほうがいいよ」
と主治医の先生に言われ、考えてみました。
働くとはなんぞや。
生活のため、自己実現のため、家族のため、
世の中に関わりたいから、夢を叶えたいから。
などなど。
いろんな思いを持って、働く人がいることはわかっています。
でもその「働く」の中には、
下げたくない頭を下げたり、嫌なクレーム対応したり、
やりたくないことをやったり、疲れてても体調が悪くても通勤したり、
思ってもいない言葉を言わなきゃいけないときがある。
そんな「嫌なこと」がたくさんある。
その、「嫌なこと」を、どこまで飲み込めるか。
どこまで「仕事」として引き受けるのか。
私はそこがうまく飲み込めなくて、
いちいち嫌だと思ったり、怒ったり、我慢したりして、
ときには辞めるきっかけになったりしていました。
同じ働くなら、嫌なことは少ない方がいいし、
嫌なことだらけになったらそこから出ていけばいい。
長いこと、そんな考えで働いていました。
我慢の限界にきたら、次のステージへ行く。
耐えられなくなったら、辞めればいい。
私にとって働くということは、
「身に受ける嫌なことを我慢して耐えること」だと
思っていました。
「側が楽になるためにはたらく」。
そのためには、自分は棘も毒も嫌なことも、
全部ぜんぶ、受け止めなければならないと思っていました。
誰かにスポットライトがきちんと当たるように、
自分は影に隠れて、泥や罵声を代わりに浴びる役目なのだと。
でも、周りの考えはそうではないらしく。
自分の人生は自分が主人公だし、
働くことは嫌なことがあるかもしれないけど、
自分だってスポットライトを浴びる資格があるのだと。
「嫌なこと」は「我慢」するのではなく、
受け流したり、他の人に相談したり、愚痴を言ったりして、
消化したり改善したり解決したりするものだと。
受け流す?
相談する?
愚痴を言う?
どうやって?
誰に?
言ったって解決にすらならない毒を周りに吐くの?
これが私の考えでした。
でも周りの人は、そうやって「嫌なこと」を軽くしてきた。
受け流すのは練習をして、相談は上司や信頼できる同僚に、
愚痴は親しい友人や家族に。
そうやって、解消してきたと。
私にもできるだろうか。
生活のため、欲しいものを手に入れるため、老後のため。
人生のスパイスに、別世界を覗くため、自分の人生を歩むため。
そんな理由で働こうとする私に、
「嫌なこと」対策はできるだろうか。
皆さん、お仕事の嫌なこと対策、
どんなことをしていますか?