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家族について

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わんわん泣いた

わんわん泣いた

久しぶりに実家に帰り、両親の老いと対面した。
きっと残り時間は少ないだろうな。
そう思うと、あれだけ疎ましかった家族と
離れがたくなってしまった。

ちょっと変則的に実家から会社に通ってみた。
会社で働いていても、頭に浮かぶのは両親との別れの瞬間。
病気もしてないし、認知症もまだなのに、
別れることが頭の中を占めてしまった。

そうなるともう、離れるのが辛かった。
特に父は、色々相談に乗ってくれた

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末代の罪悪感

末代の罪悪感

私は未婚で子どもがいない。
次兄も同様である。
唯一結婚して子どもがいるのは長兄だけで、
兄弟3人中、世の中のとりあえずの「普通」を行っているのは
彼だけである。

下宿先から久しぶりに実家に帰った。
実家は私がいなくても回っており、
特に困ったこともないようで、少し寂しい気持ちになった。

実家に帰って強く思ったのは、両親、特に父の老いが
目立ってきたなということである。

認知症が進んだとか、

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不安になるときもあるけど

不安になるときもあるけど

ぼちぼち物件を見て、いいところがあったら内見をすることを繰り返すこと数回。

ちょっと良さげな物件を見つけました。

駅から5分圏内。
障害者の自分でも払えるくらいのお家賃。
外観はボロいけど、内装はリフォーム済みで悪くない。

ただし建て壊しの予定があるらしく、2年の期限付き。
ひょっとしたらもっと早く立ち退きを迫られるかもしれない。
あと住んでいる人がどんな人たちなのか分からない。夜中にどんち

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46歳、うつ歴24年。 期間限定の親離れ

46歳、うつ歴24年。 期間限定の親離れ

生まれてこのかた、ほとんど家族と離れたことがない。

学生時代の修学旅行と友人宅へお泊まり会、独居叔母宅へのお泊まりと試験勉強のためのホテル缶詰以外は3日以上家族と離れたことがなかった。

理由は「嫁入り前の女の子が外泊とはけしからん」「家を出る時は嫁に行く時」という旧時代の価値観を持った両親にめちゃくちゃその価値観を刷り込まれているから。

そんなこと言ったら大学や就職のために上京してきた女の子

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46歳、うつ歴24年。 近況報告

46歳、うつ歴24年。 近況報告

ご無沙汰しております。
まず、母に言動にブチ切れ突発的に近場のホテルに3泊4日引きこもっていたのがお盆前後。

予約したのが泊まる2日前ですから、どんだけ行動派オタクなのとか自分でも思いましたが、
自他傷するより数万払った方がやっすいだろ!と己を叱咤激励してポチ〜しました。

結果。

1人ってむっちゃ楽。

自分のことしか考えなくていいし、家族にすら気をつかうHSP気質を発揮しなくて済むからめち

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45歳、うつ歴23年。 子はいつまで親の所有物なのか

45歳、うつ歴23年。 子はいつまで親の所有物なのか

母は私を見ない。
というより私たち子供を「個々の人格を持った存在」として認識していない。

全員成人して20年以上経つ立派な大人である。

それでも母は、我々を「自分の思い通りになる手足」「自分の社会的地位を上げてくれる肩書を持った道具」
「ゴリ押しすればなんでもいうことを聞く小間使い」としか見ていない。

そしてその道具に対して労いの言葉も褒め言葉もなく、いつも不平不満ダメ出しの否定の言葉を吐い

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45歳、うつ歴23年。 少しでも前へ進む

45歳、うつ歴23年。 少しでも前へ進む

先日女性相談センターに連絡してみました。

「DVじゃないし、緊急性高くないし…」と
気後れしていましたが、
まず話を聞いてもらって、それを受け止めてもらえたことに一安心しました。

ぶっちゃけ「そんなことぐらいで電話かけてくるなよ」みたいな言葉を
言われるかもと思っていたので、取り越し苦労だったようです。

そして家というか母の価値観は少々おかしいこと、
家から出ることを勧められたこと。

自分

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45歳、うつ歴23年。 DV被害者の心理ってこういう感じなんだろうな

45歳、うつ歴23年。 DV被害者の心理ってこういう感じなんだろうな

母は否定から入る。
何をしても否定の言葉を一言目に言ってくる。

テストでいい点数を取っても、
流行のファッションに身を包んでも、
「100点じゃないのね」
「なにその格好」
と否定から始まる。

身内の、特に母親の言葉というものは
予想以上に心に刺さるもので、
否定され続けて自己肯定感が低くなった私は、
母の言葉にしょっちゅう傷ついていた。

母の言葉は、私の根底にある怒りのトリガーを引きまくる

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45歳、うつ歴23年。 境界線を引く

45歳、うつ歴23年。 境界線を引く

「次兄、帰ってきてからずっと機嫌悪いよ」

うつでありHSPでもある私。
その言葉を聞いて一気に不安が高まった。

次兄は感情を表に出しやすく、
私以上にコントロールが下手である。

そして相性の悪い父と母にそのとばっちりがいき、
さらにその一部始終を見なければならない私は、
その現場を想像してしまい、ものすごく情緒不安定になる。

おりしも夕飯時。
家族が揃って食卓を囲む時間帯である。

家族の

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45歳、うつ歴23年。 うちの母

45歳、うつ歴23年。 うちの母

母は自分の言いたいことを思いついた時に言いたいように話す癖がある。

あと人の話をちゃんと聞かず、一度苦手と思ったら、
何がなんでも自分でやらず、学習せず、ずっと人に頼る。

「AかBのどちらにするのか?」という問いに
「今日はほうれん草が安くてね、スーパーで散財しちゃったの」
と返してくる。

私は再び
「AかBのどちらか?」
と問う。
すると、「畑のおじさんが今日いなくてね、トマトが買えなかっ

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45歳、うつ歴23年。 人の都合に振り回されそうになった話

母は気まぐれな性質である。
夕飯のメニューは夕方に聞いてもコロコロ変わるし、
「今日は天気が良かったから」と、
予定にない遠出をしてくることもしょっちゅうである。

そんなとき、潔癖・完璧主義傾向の私は、
毎回、母の気まぐれに振り回されていた。

別に母の人生なんだから、好きに生きればいい。
そう思うのだが、この行動、
私に皺寄せがくることがほとんどである。

「今日カレーじゃなかったの?」
「気

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45歳、うつ歴23年。 珍しくお怒りです

45歳、うつ歴23年。 珍しくお怒りです

母と妹の叔母は仲が悪い。
祖母(母たちの母)の介護で母が観察を怠り、
祖母の右目を失明させたのがことの発端である。

介護を怠ったとして叔母が母に注意し、
それを受けた母が「もう介護やめる」といって
家に帰ってきた。

それ以来、叔母夫婦は祖母宅に住み込み、
祖母が亡くなるまで介護をおこなっていた。

もちろん、デイサービスや入浴訪問も
活用していたが、叔母夫婦の負担は
金銭的にも精神的にもあった

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44歳、うつ歴22年。 泊まってみた

44歳、うつ歴22年。 泊まってみた

異動も家族を抱えて引っ越した父である。
過干渉のくせに子の内面の嵐に気付けない母である。
そして私はきょうだいの中で1人女の子である。

仕事だろうと門限は9時、基本その日に帰宅、
門限以降になったら最寄り駅まで迎えに来る、
お泊まりは同性の子の家のみ。

そんな家庭内ルールに長いこと縛られていて、
外泊は修学旅行、親戚の家に泊まる、
大学のサークルの合宿以外、
片手で足りるほどしかしたことがない

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そろそろ一汁一菜でいいと思うのだが

そろそろ一汁一菜でいいと思うのだが

40代2人に、70代・80代の家族構成。
まぁ40代は働き盛りに入るのだろうけど、
次兄も私も標準体重より重め。
ダイエットする気もないまま、
出される(もしくは作った)食事を
淡々と食べる日々である。

メニューは母が決めて、私が作ることが多い。
そしてその内容は、
20年前からほとんど変わっていない。

主菜、副菜、副菜2、副菜3、汁物、主食のご飯。
バランスは取れているのだが、
主菜が揚げ物

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