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野鳥とキャリア

ひざ丈ほどのハイマツが広がる山のゆるやかな斜面に、一羽の鳥が舞い降りた。黒褐色の背中に散りばめられた白い斑紋が美しい。

鳥はハイマツに頭を突っ込んではせわしなく周囲を見渡し、再び飛び出して少し離れたところに降りる。その動作を何度か繰り返しているうちに、ようやく探しものを見つけたようだ。一心不乱にするどいくちばしで何かを強くつついている。時に羽を広げて勢いをつけて格闘しているようだ。

何度目かの突きのあと、高々とかかげたくちばしの先に赤いものが見えた。つついていたのはハイマツの実、取り出したのは小さな赤い種だ。

それから鳥は羽を広げて高く舞い上がり、目的地を定めた目つきで飛び去っていった。尾の先端の白さが際立って、その後ろ姿は白い流れ星のようにも見える。心の中に余韻が残って、何か大切な示唆を得た気がした。

ホシガラス

ここは北アルプス。後立山連峰を代表する高峰の一つ、白馬岳から北東にのんびり2時間ほど下った標高2,600m付近。8月中旬でも最高気温はせいぜい20℃ほど。夜には10℃まで下がる。

鳥はホシガラスという。本州では北アルプスなどの標高の高い山岳地帯に生息している。黒地に白い斑紋が星のように見えることから「ホシガラス」と呼ばれる。体長は35cmほど。鳩とおおむね同じ大きさで、街中で見られるカラスより少し小さい。

彼らは貯食をする。「貯食」とは食べ物を地中などに隠して蓄えておき、必要な時に掘り出して食べる行動のことだ。高地に棲むホシガラスにとって冬は雪に覆われ食べ物が乏しくなる。さらに3月には子どもを産んで育てるので一層のこと餌が必要になる。だから、夏から秋の間に好物のハイマツの種をあちこちに埋めておくのだという。

その数は1シーズン32,000個に及ぶらしい。彼らは1ヶ所に3~4個の種を隠すので、貯食の場所は8,000ヶ所以上にもなる計算だ。その80%以上を後から探し当てるという。

そういえば、2年前の12月、長野県の南八ヶ岳で眺めた光景を思い出す。横岳から赤岳に向かう雪に覆われた2,800mの稜線を、2羽のホシガラスが飛んでいた。彼らは風で雪が飛んで岩がむき出しになっているところに舞い降りて何かを掘り返しては飛んだ。

12月八ヶ岳(横岳から赤岳)の稜線

夏の間に隠した小さな種を、広大な雪面の中から探し当てていたのだろうか。彼らは抜群の記憶力で周辺の目印を頼りに餌を見つけ出す。

ホシガラスは厳しい自然環境の中で常に一歩先の未来に向けて自分の糧となるものを蓄積していく。必要に応じてそれらを活かして命をつないでいくのだ。

共生社会

ホシガラスの貯食にはもう一つ大きな役割がある。それは共生社会への貢献だ。

ハイマツの実は固い殻で覆われている。誰かが割って取り出さないと中に入っている種は地面に落ちない。つまりハイマツは自身のチカラでは子孫を残し植生を維持できないということだ。

その誰かが、他でもないホシガラスだ。彼らの貯食行動の結果、一部食べ残されたハイマツの種が周辺にばらまかれる。仮に地面に隠す32,000個の種のうち10%を食べ残すと、1シーズンで32,000個✕10%=3,200個の種が山の中に届けられることになる。これが森林限界付近でのハイマツの植生を維持させることにつながっているという。

ハイマツの実。固い殻で覆われている。

ハイマツ帯はそこに暮らす動物の暮らしを守っている。はいめぐらせた根によって土壌の浸食を防ぎ地盤を安定させたり、マツの葉が朽ちて有機物となり土壌を豊かにしたり、さらには野生動物や昆虫の大切な生息地にもなったりする。絶滅危惧種の雷鳥はこうしたハイマツ帯で暮らす植物や昆虫を餌として生きている。

自らの強みを活かした生き方が、多様な生物の共生社会を作り出し、それがまた自らの命と子孫を残すことになる。それは人のキャリアの考え方と共通する部分がありそうだ。

キャリア

人生100年時代といわれて久しい。私はすでに半世紀生きてきたから、健康であれば、あと50年近くは生きることになるだろうか。

キャリアとは職歴や仕事といった意味で使われることもあるが、広い意味では人生そのものだ。アメリカの心理学者でキャリア開発の大家であるエドガー・シャインは、キャリアを「生涯を通しての人間の生き方、表現である」と言った。

シャインは、生まれてから死ぬまでのキャリアサイクルを9段階に分けて、それぞれの段階で直面する問題と取り組む課題について整理している。例えば責任を引き受け、忠実に職務遂行に取り組む20代のキャリア初期。専門スキルを身につけて自分で意思決定を試みる30歳前後のキャリア中期。そして40歳前後になるとキャリア中期の危機が訪れ、自分の歩みを再評価するタイミングがやってくる。

振り返ってみると確かに思い当たることがある。社会に出てがむしゃらに知識を身につけ、組織から求められる行動を実践しようとしたのは20代だった。市場価値を高めるために専門性を身につけたいと転職した30代半ば。その後生じたリーマンショックによって社会環境が激変する中で、会社が生き残るために期待される役割を全うしようとした40歳前後。

経済が少し落ち着いた頃、ふとした機会に会社以外の地域コミュニティの方々と交流してみると世の中にはさまざまなバックグラウンドを持つ人がそれぞれの価値観で暮らしていることに気づいた。そして互いに明るく愉快に支え合っていることも。

自分は身の回りの人のチカラになっているだろうか。多様性が活きるよりよい社会に貢献できているだろうか。自分の強みは何だろうか。そんな疑問に直面して自分を再評価してみると、今までと異なる価値観で生きてみたいと想うようになった。

未来に向けて

社会はあいまいで、そして変わり続ける。2020年からのコロナ禍は世界の人の価値観や行動様式を一変させた。組織の要請に応えることが自分のキャリアではない。自分の強みを活かしてよりよい社会に貢献するキャリアでありたいと思うようになったのはその頃だ。

カウンセリングの資格を取得したのは、自分も含めて誰もが自分らしく活躍できる社会をつくることに何らかの貢献ができればと思ったから。その中で学んだことは、「助言する」ことよりも「聴くこと」の重要性だった。人が自身の大切にしているものに気づき、それを軸に次の一歩を力強く踏み出していく原動力は内発的な動機だ。問いかけと対話から生まれるそのような瞬間に立ち会う。そこでの気づきを自分の好きな文章を通じて世間に伝えられたら、より広く社会に貢献ができるかもしれない。そう考えるようになった。

ホシガラスは記憶力という強みを活かして食べ物を蓄え、柔軟に環境変化に対応して生き抜いていく。その行動は生物多様性を持続させ、自然環境に貢献していく。

人も同じではないか。自分の個性や強みを活かしてスキルや経験を蓄積して未来に備える。それは自分自身だけでなく、身の回りの人や広く社会に役立てていく。

北アルプスの稜線で出会ったホシガラスのキャリアは、これからの自分を力強く後押ししてくれそうだと思った。


<参考>




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