![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151309215/rectangle_large_type_2_56a62afe5da8a709cca53d5f0a77dfd2.png?width=1200)
「クリエイティブ」こそ、私のMain Street。
ニューヨークの夏はとても短く、だからこそ、思い出が濃いものです。
2014年、ゴールドマンの本社勤務となり、新人研修以来人生2回目となるマンハッタンの夏を満喫していた私は、その日も友人とのゴルフを終え、1番ラインの地下鉄に揺られ帰路についていました。
そこで突然友人が言い出した
「なんか、ドラム叩いてみたいかも」
の一言。
「いいね、じゃあ、いっちゃう?スタジオ」
という(今思い返すと)若々しいノリ。
そして見つけたのがここ、Michiko Studioでした。
振り返れば、その後何十回も通うことになる、このスタジオとの出会いが、大きな意味では、私の人生の一つのターニングポイントだったのかな、という気がします。
「音楽とスポーツは、言語関係ないから」
「音楽とスポーツは、言語関係ないから」
という、ざっくりとした方針のもと、
3歳のころから家の近くのヤマハ音楽教室に通わせてもらっていた私は、
練習が嫌いすぎて所謂ピアノ技術の上達は決して早くなかったのですが、
絶対音感という唯一無二の武器を得ました(もしくは、生まれながら持っていた説もなくはない?)。
そこから、苦手な楽譜を読んで弾くのではなく、
耳で聞いたものを"適当に"コピーして弾くことに快感を覚え、
学校で人気の曲を"適当に”弾くと皆がやたら盛り上がるという快感もそれを助長し、
とにかく、"適当"に鍵盤を叩くことが、この上ない楽しみの一つになったのです。
この
「聞いたら適当に弾ける」
というニッチな特殊能力が、
その後の人生においてどれほど生きたか(もしくはほとんど生きなかったか、、)は一旦割愛しますが、
両親がざっくり言っていた
「音楽とスポーツは、言語関係ないから」
は、本当であった、と断言できます。
果てには、アフリカ、スラム街の学校でも、鍵盤を叩きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1723709057708-4t9PMskodm.jpg?width=1200)
余談ですが、そんなヤマハ音楽教室から始まった私のクリエイティブですので、自ら立ち上げた会社が、Yamaha Musicさんとの資本業務提携が決まったときの感慨は、ひとしおでした。
「クリエイティブ」こそ、私にとってのMain Street
さて、話は戻りますが、
社会人になり、そのあまりの多忙さにその楽しみをすっかり忘れていた私は、
ニューヨークでの友人の些細なひと言と、上述のMichiko Studioとの出会いによって、
その楽しみを心から思い出したのです。
クリエイターの端くれとしての情熱が、完全に再燃しました。
その後のニューヨーク生活はもちろん、
日本に帰国してもすぐにキーボードを購入し、
週末は音楽学校に通い、
Logic Proのために人生で初めてMacbookを買い、
DTM(Desktop Music)を始め、
証券会社の債券営業に勤しむ傍ら、
クリエイティブな世界に片足(と言ってもほんのつま先だけ・・・)を突っ込む日々が続きました。
そして、
そんな仲間が増えるにつれ、
「クリエイティブ」な世界に身を置き、
「クリエイティブ」と真剣に向き合い、
「クリエイティブ」で人の心を動かし、
「クリエイティブ」で世界を変えている、
そんな多くのクリエイターの方々への尊敬の気持ちや、憧れは、
日を重ねるごとに、時間が経てば経つほど、
強くなっていったのでした。
ゴールドマンに勤めていた私の業務で、
数千億円、数百億円という単位のお金が、目の前を通っていく(ように感じる)職業であったこと、
そしてそれは「金融経済/Wall Street」の活動であり、「実体経済/Main Street」とは乖離したものであること、は先日書かせていただきましたが、
上記のような経験を経て、
私にとっての"Main Street"が、クリエイティブな世界にあることは、とても自然なことでした。
目の前を流れる"無機質"(と少なくとも私には感じた)なお金を、
もっとワクワクするものに、意味のあるものにしたい。
これが、現在私がエンターテイメントと金融を必死に結びつけようと動いている、
大切な原点です。
最後までお読みいただきありがとうございまいました。