エベレスト級の喜びをあなたに聞いて欲しい
8/28
34歳になりました。
34年生きてきて、自分の誕生日よりも、我が子同然のハンドメイドアクセサリーがMOREに掲載された時よりも、嬉しかったお話をします。
それは、夏休みも終わり学校が始まった8月24日。
夕方、食事の用意をしていた時のことでした。
『ねーママー、平等と公平の違いって分かる?』
11歳なのに少し大人びていて、もう少しで私の身長に追いつきそうな娘が言った。
うまく説明できないなあと思いながら、「ん~なんだろう?」と答えた。
すると紙とペンを準備してなにやら書き始める娘。
『平等はみんな同じにすること。
みんなでここの一番きれいな場所を見るためにどう工夫するかが公平』
それはまさに、私が発達障害の理解をした講義の内容と一緒だった。
【これは話すときが来たんだ】と、夕飯の準備をしていた手とガスの火を止め、話す態勢へと心と体を整えた。
「そうだね。その通りだよ。
これって母ちゃんがよく言う発達障害も一緒なんだよ」
きょとーんとしている娘。
私も図に書きながら続けた。
「身長の違う3人の人がいて・・・
みんな同じ台を使うのは平等だね。
でも、みんな見てる世界は違うね。
だから、同じ景色が見れるように、必要な高さの台を準備すれば、みんな同じ景色が見えるよね?
この台が、発達障害者でいう支援の量なんだよ」
娘はいつにも増して真剣な表情をしている。
「台の大きさが違うのは、その人にとって必要な支援が違うから。
イヤーマフだってそうだし、一人だけみんなと違うノートを使うのもそういうこと」
『そういうことだったんだね。
みんなと同じ景色が見れるように、見えない人を助けるんだね』
「そうだね」
私は胸にこみあげてくるものを必死でこらえながら続けた。
「そう考えたら、自分ができないことを恥ずかしがる必要ってないでしょ?」
『うん、できないことは助けてもらえばいいんだもんね』
「そうそう。みんな一緒じゃないんだからさ」
娘の表情が穏やかになっていた。
「良い顔してる。今すーっと理解できた気がしない?
自分は自分で良いんだって。
どんな自分も自分なんだって。
得意なことも苦手なことも全部含めて自分なんだって」
「うんっ✨」
ずっと私が見たかった娘の笑顔に安堵の気持ちでいっぱいだった。
「もう大丈夫だね」
私のその一言に、娘は『何が?』という不思議そうな表情。
「今まで闘ってきたでしょ。
自分のできないところを責めたり、みんなと違うって悩んだり」
娘は言葉にすることなく、申し訳なさそうに静かにコクリとうなづいた。
「分かってたよ。
なんでかーちゃんは、そんなことするの?
なんで学校に言うの?って思ってたよね?」
コクン。もう一度首を縦にふった。
「そうだよね。それも全部踏み台が必要な理由を一生懸命伝えてたの。
〇〇はきっと分かってくれる日がくると願ってたから、かーちゃんは今最高に嬉しい。よく頑張ったね」
抑えていた想いがあふれて、思いっきりハグした。
顔を上げた娘は、幼き頃の大好きだったあの上目遣いではなく、私と同じ目線で、対等に落ち着いて話が出来る女の子に成長していた。
『〇〇、進化したの?』
「そうだよ。進化したね!やったね!」
もう一度ぎゅっと抱きしめた。
「よくここまできたね。
ここまでくると、新しい景色が見えるんだよ。
平等と公平が分かった人にしか見えない景色。
〇〇は、これからたっくさんの自分の可能性を切り開いていけるよ」
『新しい景色・・・?』
「そう。今までは、この平等と公平が分かってなかったから、みんなと違うことが不安だったじゃん?
3年生の時、学校で書いて金賞をもらったひまわりの絵。
みーーーんな用紙を縦に使っていて、クラスで自分一人だけ横に描いたこと嫌がってたじゃん。
それは、この土台がしっかりしていなかったから、みんなと違う自分を受け入れられなかったの。
ずっと言ってるけど、かーちゃんは〇〇しか持ってないこの世界観が大好きだよ。
これからは自分にしか見えない景色たくさん見つけていこうね」
『うん、楽しみだね。かーちゃんは見つけたの?』
「ん~もう少しかな?」
『〇〇は見つけたよ。
その素敵な世界だけ見てるのはダメなの?
別にみんなと同じ景色を見る必要なくない?』
「それがさ、そうできれば良いんだけど、うまく生きていくためにはみんなと同じ景色を見ることも必要なんだ。
周りの人は共感してくれる人を求めるからさ、みんなと同じ景色を知っておくことも重要なの」
『そうなんだー』
「今〇〇は気づいたけど、周りの多くの人はまだ『平等と公平』をちゃんと分かってないのね。だから、今分かったことを周りの人も分かって当然ではないこと覚えておいた方がいいかも」
『それは分かってるけど!
でもこの年(11歳)で気づけたのってすごくない?』
「凄いよ。ちょっとうらやましい(笑)」
私はこの日のことを一生忘れないだろう。
なぜなら、娘は自分の誕生日に良いイメージがなかった。
そんな娘の言った一言が私の胸に刺さってきた。
『今日は〇〇の進化記念日だね。
毎年お祝いしなきゃ✨』
2023年8月24日
娘にとって第2の誕生日。
娘が新しい自分と出会った大切な日となった。
小さいころから特性は見られるものの、特に目立った問題がなく、周りからは「お母さんの考え過ぎ」と言われてきた。
相談してもどうにもならない苦しい時期をひたすら耐え続けた。
気づけば9歳。
学校でのトラブルがあり、かかりつけの病院へ相談した。
発達特性の相談をして、診察が終わったあとの時間で面談した。
ことの流れや生い立ちをひとしきり伝えた後、先生は娘にこう言った。
「自分では気づいていないかもしれないけど、相手を傷つけていることがあるかもしれない」
その言葉にショックを受けた娘は、帰りの車で
「〇〇が悪かったんだ」
とつぶやいた。
違う、そうじゃないよ。
私は必死で伝えた。
「〇〇が悪いんじゃない。
訴えても何も対処してくれない理解のない社会が悪いんだよ。
あなたは何も悪くない。
でも母ちゃんは今ようやく相談が進んだことに安心してるよ」
と言ったあとの驚くようなあの表情が今でも忘れられない。
私が発達障害に気付かれず大人になったばかりに、自分で自分が分からない、特性に対してどう対処していいか分からない、人とのかかわり方が分からない大人になった。
それは社会で生きていくには困難を極めた。
2度と経験したくない真っ暗なトンネルの中で過ごした時間。
子どもには同じ思いをしてほしくないという一心だった。
私の障害受容との闘いが始まったのは、27歳の時。
9歳というこれからアイデンティティーが確立される大事な時。
思春期に入る難しい時期。
私よりもずーーーっと早い段階で娘の自分自身との闘いが始まった。
はじめは辛い。
私も経験したからわかる。
ショックだし、否定したい。
なんとか行っていた学校も次第に行かなくなった。
あとから知ったが、勉強がついていけないこともしんどかったらしい。
全然知らなかった・・・
私とは正反対に数字がまるでだめな娘ちゃん。
『どうして勉強しなきゃいけないの?』と定期的に聞いてくるけれど、いまだに答えは見つかっていない。
結局4年生は学校に行かず塾や通信教材も様々試してみたがどれもだめ。
家で勉強することもなく、ただ自分の好きなことをして過ごした。
でもそれは娘にとって、勉強よりも大切な”自分と向き合う”という人生の勉強をする時間だったのです。
どうにか逃げないで自分と向き合ってほしい。
私が過去にカウンセラーから紹介してもらった『レジリエンス』の本を、娘に分かりやすいようにパワーポイントにまとめた。
何でも中途半端になりやすい私だが、レジリエンス一冊分を娘と一緒に学んだ。
ワークシートを一緒に考えながら、心と向き合うことを教えた。
学校からもらう宿題プリントの山を横目に、「レジリエンスしようかー」というと素直に椅子に座ってくれた。
私からなにを言ったわけでもなく、「ちょっと待って」とルーズリーフと筆記用具を持って自らメモを取る姿を見て何とも言えない嬉しさがこみ上げた。
次第に学校へ気持ちが向かっていった。
何度か登校チャレンジしたが、すんなりうまくいくわけはなかった。
このままずっと不登校なのかな・・・
どうしよう・・・と私は頭を抱えた。
4年生が終わる頃、校長先生と面談した。
5年生は環境も変わるし、学校に来てみませんか?と。
娘も「行きたい」とは言っているけれど、不安だらけ。
何にも変わっていないのが現実であり、同じことの繰り返しになるのではと、私は必死で訴えた。
・発達特性があり困っていること
・学校として何も変わっていないのに、安心して学校に送り出せないこと
・学校に行っていないと福祉サービスも使えない。この子はどこでコミュニケーションスキルを学ぶんですかと
すると、これまでにもいろいろ訴えてきた私だが、校長先生は知らないことが多かった。
校長先生まで話が通っていなかったのだ。
残念ながらこれが現状・・・
これまでの話も全て伝え、少しは分かってくれた。
「まずは学校に来て様子を見て判断しましょう」と言ってくれた。
娘には「5年生から新しい自分で学校に行ってみないか?」と提案すると、「いいの?」と言った。
その言葉にどんな意味があったのか、私にはわからない。
「何かあったら守るから」と伝えつつ、自分にも言い聞かせ、5年生から学校へ行った。
困ったことがあると、私から学校へ長々と手紙を書いて伝えた。
子どもが困っていること、その原因と考えられる子どもの発達特性、対応策の提案など事細かに伝えた。
すると次第に対応してもらえるようになった。
対応してもらったら、私の想いと感謝を手紙にして学校へ渡した。
学校でも少しずつ過ごしやすくなっていった、そんな中での娘の受容。
ここから推測するに、当事者の障害受容は、周囲の環境が非常に重要なのではないかということだ。
周囲の理解がない中で、本をたくさん読んでは発達障害の勉強をした。
そして子どもの発達特性を見つけ、「こんなことで困っている」と伝えることしか出来なかった。
もちろん良いところも多々あった。
でも、良いところを伝えていたら、「だったら大丈夫だよね」と判断されてしまう。
どう伝えればわかってくれるのかばかり考え、子どものできないところばかりに注目し、できないこと探しをしていた。
グレーであればあるほど、この負のループにはまってしまう傾向にあるのではないかと私は思う。
だからこそ、私は理解の大切さを訴えたい。
8/24、娘との会話の最後に伝えたこと。
「そんな理解のない社会を変えるために、かーちゃんは本を書いてるんだ」
その日の夜。
娘は2度目の「発達小害者」を読んでいた。
真実は分からないが、1度目の「発達小害者」読破から、子どもなりになにかを感じ、受容へ向かったのであれば、
著者として、母として、
これ以上の幸せはない。