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がんばるのやめた話

こんにちは。

今日からブログを始めてみました。

なんだか毎週、毎日のように、いろんなことに気付いていて。

というより、お客さまにいろんなことを教えてもらっていて。

たくさんの有益なGIFTたちを

「これは文字に起こして残しておきたい!」

って思っていても

日々の流れに巻き込まれ消えていってしまうことが多く(ガーン)


めちゃくちゃモッタイナイので

振り返るつもりで毎週月曜日に発信していきたいと思います。


ブログのテーマは“ease”

easeは辞書で引くと

ease
(名
容易さ、たやすさ◆【反】difficulty
楽であること、気楽さ、安楽
《軍事》休めの姿勢
軽減、緩和
(他動
〔ぴったりとしている物を〕緩める、ほどく
〔体の痛みを〕和らげる、軽減する
〔心配や不安などを〕和らげる、なくす
〔大変なことを〕楽にする、楽しくする
〔狭い場所で~を〕そっと[ゆっくりと]進ませる[動かす]
(自動
〔痛みや苦労などが〕和らぐ、弱まる
〔狭い場所を〕そっと[ゆっくりと]進む[動く]

英辞郎

とあります。

easeは私の好きな言葉です。

そして“本質的な言葉”だと思っています。


体のことを生業にしているので、より実感しているのかもしれません。

無茶をすれば体を壊すように、頑張ることには限界があるなと感じています。


私はわりかし体育会系の中で育って来たので

「頑張ることは良いことだし、頑張らないことは悪いことだ」

というような風潮を受けているはずなのですが

無理して、我慢して、頑張って良いことってあんまりなかったなー、と
これまでを振り返ってみて気づきました。


スポーツで言えば、休むと勝てないからと練習ばかりすると勝てないし

体で言えば、筋トレ頑張ってもなりたい体になるわけでもなく。


むしろ、気楽に良いイメージでちょっと練習するくらいの方が良い結果が出たし

筋トレやめて体の硬さをリセットしてあげたら、なりたかったお尻の形に近づいたり。

意識していい姿勢を保つより、コツがわかれば勝手に「姿勢いいよね」と言われるし。

勉強や仕事も、苦痛を感じてやるほど無惨だった気がします。


頑張らない=努力しない、何もしないということではなく

不安や不幸を回避することが動機づけされた行動って

結果が出ないし、そもそもスタート地点が間違っていて。


自分はまだまだダメだから

筋力が足りないから

こうでなければ意味がない・価値がないから

こうしないと痩せないから

〇〇にこうしろと言われたから などなど


「と、自分が思い込んでいる!」

って言葉を

うしろにつけたくなるようなスタートは行動が始まる時点でズレていて

一生埋まらない不足感に苛まれて

本来持っている能力のほとんどが発揮できないんじゃないかと。

少なくとも私はそうでした。


だから“ease”

不安や不足のない、今すでに充分な自分

安らぎを感じられる

自分の心と体が一致した状態から

必要な行動を選んで取り組めたら

良いサイクルに入っていけるなーと思っています。


そんなことに紐づく体のこと、生活のことなどなど

これから綴っていきたいなと思います。

ということで、このブログも思いつく言葉で

お茶🍵でもしてるような感覚で書いていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

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