2021.05.23 22歳になるにあたり思うこと
明日5月24日でいよいよ22歳。
これがめでたいことなのか、嘆かわしいことなのかはまだわかってはいないけれど、少なくとも焦りは感じている。
この21年間で何かをやってのけたという自信が欲しいが残念ながらまだ何もない。
そんな焦燥感に駆られている休学生が人間22年生を迎えるにあたり思うことを書いてみる。
惹かれる人とは
大学で友達がいない自分であってもこれまでの人生でそこそこ多くの人に出会ってきた。つもりでいる。
その中で魅力的で惹かれる人間とは何かを考えたときに浮かぶのは圧倒的に「ブレない人間」である。
言い換えれば自分の中に一貫した軸がある人間。
内容はスポーツだろうが勉強だろうがそれ以外だろうがなんでもいい。その分野のことをやり続けている人間、そういうものに憧れる。
何が良いのかを言葉で表現するのは難しいが、フィーリングとしてかっこいい。「俺はこれをやっている」って惜しげもなく言うこと、誰もができるようなことだが実際にできている人は少ないように感じる。
自分には何があるか
サッカーは下手だし、頭は良くない。想像力があるわけでもないし、もちろん建築もできない。全てから逃げた。
現時点でのスペックが低いのは重々自覚しているし、努力を積み重ねられるタイプの人間ではない。自他共に認める甘ったれである。
そんな自分の良いところは何かと考えてみると、それは恐らく人間的にバカでアホな部分。
自分をバカみたいに信じて名古屋大学を目指し、何も考えずにトライアスロンを始め、なんの準備もせずにウルトラマラソンやアイアンマンに出場した。
建築の学科を選んだのだって「駅を作りたい」なんていうその辺の小学生よりもレベルの低い理由である。
ほんとにバカだしアホ。当時は一切の疑いも持っていなかったが、今更ながらよくそんな感じでここまで生きてたなって自分でも感心する。
でもそんな自分が大好きだから変えるつもりも変わるつもりも微塵もない。また数年後もどうせ同じようなことを思っているのであろう。
そう考えると、思ったことをやってみるっていうのは大事かと。じっくり考えることも大事だけど、とりあえず実行してみるのも悪くはないと感じる。
あとはどうに周囲からの評価を得るのか。それはその方向で突き抜けるしかない。だって一般的に”まとも”って言われるようなことはしていないから。
個人的にはまともなんてクソ喰らえと思っている。
周囲からの評価を得られなかったとしても構わない。自分にとって周囲の評価は二の次、三の次。そんなことよりも自分の好きなことをしていた方がずっと良い。
これが自分の憧れる「ブレない人間」。
noteを書き始めてもうすぐ4ヶ月経つ。文章力の向上が全く感じられないのは残念であるが、続けてれば後退していくことはないであろうと信じている。
無事日付を跨ぐ前に書き終えられた。
いろいろあったし100%楽しいことだけだった訳ではないけど、この一年が有意義な時間であったと思っている。
もう2度と巡ってこない21歳の自分、ありがとう。そして、さようなら。
2021.05.23
P.S.
今回は友人の投稿のパロディです。というかもはや丸パクリ。許可を取っていないから裁判を起こされたら負けてしまうので、そうなったら全力で逃げようと思います。
書いたことは僕の気持ちです。これはほんと。