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2022.10.03 おいらの人生観

こんにちは。

ゼミで何の気なしに発言した一言で先生に色々言われてしまいました、ともむーんです。

いや別にね、すんごい詰められたとかそういう訳ではないんだけども。主観として長々とご指摘をいただいたなと印象を受けた次第です。もう少し考えて発言すべきだったな。議論の場であなたの感想は出してはいけないことがよくわかりました。

そんな訳でわたくしともむーんの人生観について、本日の反省点も踏まえて書いていこうと思います。参考元は昨日書いたマジ訳わからん例の本です。

曰く、時間の概念は大きく五つあるらしい。

始点と終点のある線分。無限に循環する円周。始点も終点もない無限の直線。終点のみがある半直線。始点のみがある半直線。

これは著書の序盤に提起されたトピックであり、終盤で回収される著書全体に関わる概念的要素であった。

まず自分はここで引っかかった。本当に時間の捉え方はその5類型なのか。少なくとも自分は全く違った。

我々の生活は循環しているように感じる。その周期は一日なのか、一週間なのか、一ヶ月なのか、一年なのかは定義次第であるが、同じ朝を迎え、同じ月曜日を迎え、同じツイタチを迎え、同じ正月を迎える。つまるところ同じ円周上を循環している。

ように錯覚する。

だがしかし、間違いなく昨日の朝と今日の朝は似て非なるものであるし、今日の朝と明日の朝の関係も同様である。どんなに似ていても、全く同じ朝を迎えることは決してない。即ち、我々の時間軸は円上を循環しているように見えて、僅かにではあるがずれを生じているのが実情である。例えるならバネ状の螺旋を描きながら時は進むのである。我々は毎日"同じような”生活を繰り返しながらも、少しずつではあるが着実に前進している。(またそれと同時に死に近づいてもいるが。)

ここでバネ全体のベクトルはあまり問題視はしていない。それが天に突き刺すのかもしれないし、地に落ちていくのかもしれない。が、それは自分の人生観としては重要ではない。

その時、その瞬間において、バネのベクトルをどの方向にするか、それをその都度最適化させていくことが重要であると考えている。全体の構造化がなされていないと揶揄されたが、初めから完全な構造を作ってしまうことの方が問題であるように感じる。言い換えれば、”バネのような”だけであって、バネのように全体としてある特定の方向を持ち機能する必要は必ずしもいらない。

”今ここ”を懸命に生きることの結果が人生のバネとして現れてくるような気がする。構造化されたそれよりも遥かに面白い。

自分個人の人生について重要とは思われない補足。厳密に言えば、バネには確実に始点も終点もあると思う一方、現に自分は生きているので始点があるかないかは至極どうでもいいし、まだ終点も遥か遠いと仮定しているので現時点では半永久的にこの螺旋は続いていく。


とまあこんな感じの人生観を持っているともむーんですが、今回の議論としては主語が少し違うんじゃねっていうとこで落ち着いております。個人を主語にして語ってる訳じゃないよねということらしいです。

自由なトピックで話し合おうっていう議題だったから適当に発言したのが良くなかったですね。

ただ、今回は色々言ってもらえたので成長の機会は与えられたのかなと思ってます。今日はそんなとこです。

久々に頭使いながらこんな書いたので疲れました。明日は数億年ぶりの一限です。行ける気がしないです。おしまい。

2022.10.03

P.S.話題は古いかもしれませんが、SPY×FAMILYの二期が始まりましたね。年末までの活力を得ました。

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