やりたいように、感じるままに
「世の中にはあまりにも考えすぎる人が多すぎるのよ(メリー・ポリンズ)」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
突然ですが、最近布団を捨てました。
元々からちょっとカビが少しあるのかな?という部屋のなかとはいえ、布団の底の方からなんかついてしまいました…。
そこで寝ていると不快感を覚えることになり、あえなく捨てることに。
今は床に寝ています。
「大丈夫なの?」と思いますが、昼寝くらいならそういうときもありますので、意外となんとかなってますね。
ただあまり長く寝るのには負担は多少ありますが…。
本当は時間を忘れて何かに集中できるために、布団をすてたのですが、まだまだ修行が足りないようです。
疲れすら、通り越していきたいものです。
さて、ここからなのですが。
子供のときにあったような、「時間を忘れるくらいの、周りが見えなくなるくらい、1人で何かに夢中になれること」というのって、今は持ってますか?
ここずっと、気になっていたことです。
仕事、労働をしていると、何かに追われるような感覚になり、
「自分がやりたい」
というより、
「誰かにお願いされてやっている」
というのが多いのではないでしょうか。
そうしているうちに、「自分がもっとやりたい」と思えるようなことが潰されてしまい、やらなくなってしまい、最終的に「自分には夢中になれるものがない」ということになってしまいます。
これもまた、1つの「不使用の学習」みたいなものです。
これって、実はとても危険なことだということをある人はお話していました。
ここからは受け売りですが、特に正社員としている場合、非常に搾取を受けやすい立場にあるということを念頭に置いた方がいいということを話していました。
会社に縛られ、上から指示をされ、下の不手際の責任をとらされ、自分の生活を犠牲にして何とか今の職場を成り立たせるために完璧にこなさなくてはならない。
それを、何とか生き長らえるだけのお金をもらい、自分とその周りのことを犠牲にしている。
なんともおかしな話じゃないの?
ということを話していました。
確かに、戦争をしていたり、国全体としてお金がなくて失業者が大半の国でしたら、生きるので精一杯ですからやりたいことの話どころではないでしょう。
しかし、今の日本でしたら、何かウイルスがどうとか騒いでいますけど、別にやりたきゃ何でもできますよね、違いますか?
そんで、何もやらず、やらないからできない。
そんなことが大半になってしまう。
そのなかには、「自分がやりたいこと」というのも含まれます。
だからこそ、ふとしたときに「やりたい」と思えることをやれるような状態にできないものですかね。
今しがた、時間を作りつつ、何とか必要最低限の生活をしつつも、新しいことや夢中になれることに向けてできることをしている最中。
さて、次は何をしようか。