自分で決めるということ
大分、世の中が騒いでいてやりにくさはあるかもしれません。
ですが、自分はあえてこの質問をします。
「今、皆さんは幸せですか?」
「今、自分は健康ですか?」
「今、自分は愛し愛されていますか?」
そしてもうひとつ聞きます。
「それらはなぜ、それがわかりますか?」
最初の3つの質問は、どの人も答えが限られています。
「はい」か「いいえ」。
中には決められずに、
「分からない」
という人がいるのかもしれません。
一方、次にした質問はどうでしょうか?
おそらく、被る人というのは少ないのではないでしょうか。
そうです。何かの定義というのは
各個人で違って当たり前
なのです。
これはいついかなるときでもそうです。
社会人として働いている人はもとより、学生ないしもっと若かったり年齢がいっている人もそうでしょう。
各個人で、考え方は違うはずなのです。
しかし、今の日本の周りをみてみてどうでしょうか?
どこか自分で決められずに、周りに聞いて回ったり指示されないと動けない人ばかりではないでしょうか。
そう、「自分で決められない」人があまりに多いのです。
だからマスコミやらネットやらの情報を真偽の有無を問わずに鵜呑みにして、自分の行動を他人に任せてしまっているのです。
勿論、かつての自分もそうでした。
自分で何も決められずに、ただ周りに合わせているだけ。
意見がなく、意見があったら質問や反論もなくただ同調するだけ。
とてつもなく優柔不断であり、非常に流されやすかった。
そんな時代がありました。
今は練習して、意識的に「自分で決める」ことをしたり、「なぜ」というものを自分で見つけにいったりして、答えが定まっていないことを自分でとりにいっているようにしてきています(まだ無意識的に過去の習慣が残っているときがあるので、完全とまではいかないですが笑)。
最初の質問のことに戻りますが、最初の3つについては何かしらの形があるから「はい」か「いいえ」と出てくるはずです。
この時点で「わからない」というのは、その時点でその問いに対して考えてこなかったとも言えるでしょう。
さらに、その質問に対して「なぜ?」と答えられないのであるのなら、やはり考えてないですし、例え答えられたとしても「何となく」とか、「周りの様子からみてそうかな」というのであれば、やはり周りに依存して自分で決めてないということです。
もし自分で決められるなら、自分のなかで定義ができるはずです。
一度、やってみましょう!
ちなみに自分は全て「はい」です。
理由は
「自分は前を向いて進むことができている」と感じられるから幸せであり、「自分は元気です」ということができるから健康であり、「思い通りいってもいかなくても、受け入れられている」という感覚があるから愛し愛されています。
答えは、すごくシンプルです。
難しく答える必要は、ありませんからね。
今回は以上です。
最後まで見ていただき、ありがとうございました!