甥っ子と街

ちょくちょく姉夫婦の家に遊びに行く。

甥っ子はあと二ヶ月で2歳になる。
会うたびに大きくなっていく甥っ子が先日ついに私の名前を呼んでくれ(おぅたーんみたいな感じなので厳密に呼べてはいないが、自分が呼ばれているとよく分かる)、甥っ子への愛が私の中で跳ね回っている。

甥っ子は都心ど真ん中に住むシティーボーイなので家の周りは人や車が多い。
路地も公園もあるけれど、甥っ子はオフィスビルの植木で、綺麗に磨かれたガラスに映りこむ姿で、マンホールに溜まった水で、どこでものびのびと遊ぶ。
私は歩行者に邪魔にならないよう気をつける役をしつつ、免罪符を手に入れたかのように一緒にのびのび遊ばせてもらう。
今日は作りかけのビルの下で植え込みの木の周りをぐるぐると回り、ビルの壁の色んな素材をノックする音を聞き、排水溝に小石を落とした。

甥っ子の興味がどこへいくかも見ていて楽しいし、何より街ゆく周りの人を納得させる力が本当に凄いと思う。皆に愛されているのだ。歩道橋の水たまりで遊んでいても、水たまりで尻餅をついても、お洒落な店が立ち並ぶ路地でも、危ないので入らず外で見ていた陶器屋さんでも、皆が甥っ子に優しくしてくれる。
甥っ子が愛され私も嬉しくなる。

無条件に愛されるということ、自分も無条件に愛されていた記憶があることに驚いてしまう。

SNSやニュースを見ていると殺伐としたことばかり目に入り込む。
日常で知らない人と簡単にやりとりは起きず、何か接触が起きても優しくされるより嫌な気持ちになることの方が多い気がしてしまう。
電車や人混みで、私が他人に対して柔らかな気持ちが無かったのではとも思い返す。
最近は、人混みを避けたい気持ちが人を「人混み」と変換し、嫌な避けるべきものと判断する力が強まりすぎてはいなかっただろうかと考える。
人が増えるほど、どうしても身体が緊張してしまう。
そうなると気持ちが収縮する。

甥っ子といると知らない人が優しくしてくれる。
微笑んで見ていてくれたり、手を振ってくれたりのアクションをしてくれたり、話しかけてくれる人も多い。

街でのびのびとする。
それだけで景色が変わる。

甥っ子といると発見が多い、毎度勉強させてもらっている。


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