いちばん長い旅(4)
もし初めから読んでみたければ、こちらからどうぞ。
オーストラリアでの1年間の語学留学は、私の人生の中で初めて自分でとった休暇だったように思う。
英語を習得すること以外には何の制約もAgendaもない日々。語学学校のカリキュラムはとてもゆったりとしていて、レッスンの間に長い休み時間がしっかりと組み込まれていた。そして毎日午後3時に授業が終わり、週末はOptionalで参加できるExcursionや行事に参加しなければ、全ての時間を自分の思うままに使えた。
SpeakingやListeningのレッスンは、英語力のアップが日々の生活の向上に直結していたため、勉強している理由(why)があきらかだったから、あれほど毛嫌いしていた英語の勉強だったのに、退屈だとか飽きるとか感じることがなかった。
先生達に”日本人にしてはGrammerと語彙力が弱い”、と言われ(日本の英語教育はこの点はしっかりしているらしく、日本人学生の語彙とGrammerの”知識”の高さは英語の先生の間ではよく知られているようだった)、この時に学生の時に英語を勉強しなかったことを少し後悔した。けれども英語の音の中で生活して、少しづつ生活に密着したGrammerと語彙力を身につけて行くうちに、この勉強の仕方がとても自然に感じて、また自分にはあっているように思った。
やがて英語の音が意味をなすようになるにつれて、クラスメイトとのコミュニケーションや簡単なお店でのやり取りが楽しくなってきた。ただ、まだローカルの英語のスピードにはまだまだついていけなくて、何回か聞き直すか、ゆっくり話してもらうようにお願いして、なんとか理解できている感じだった。だから、ローカルの人と話すときはちょっと身構えることが多かった。
語学学校での最初の数ヶ月は、見た目が似ているためか、アジア系のクラスメイトとはお互い話しやすく、すぐに意気投合して、1日の授業が終わると彼らとよく街へ繰り出していた。1時間も歩けば繁華街を全部回れる街にある、いろいろな食べ物のお店がずらっと並んでいるFood Hallへ行ったり、お互いの国の料理を出すレストランや学校の近くのカフェでおしゃべりすることが多かった。そんななかで、他のアジアの国から見た日本や、似ているようで似ていない彼らの考え方やカルチャーを知った。
やがて欧米諸国から来ていたクラスメイトとも話す機会が増えて仲良くなり、次第に彼らと時間を過ごすことが多くなった。西欧のクラスメイトたちは、outdoorで時間を過ごすことが大好きで、授業が終わるやいなや、木陰に覆われた海風の流れる公園や、真っ白な砂浜の広がる海へ行って、日光浴をしたり、泳いだり、パーティーをしたりしていた。日が沈む頃には彼らとよくパブに行くようにもなった。東欧から来ていたクラスメイトは、午後からできるパートタイムの仕事をしていて忙しそうだった。でも仕事がない時は、海や公園へいっしょに遊びに来て、羽を伸ばしていた。
そして彼ら彼女らにとっては、アジアの国々から来ていたクラスメイトはみんな同じアジア人で日本、韓国、台湾、香港、タイといった違いにはあまり関心がない事を知った。アジア人の間で認識されている国の間の違いは、その中にいる人たちには感覚的に感じとれるもののようだけれども、外からはその違いはどうもよく見えないようだった。
でもそれは私がアジア以外の国の人たちの出身国の違いが、日本に住んでいた時はみんな同じように見えていて、英語をネイティブで話す人と、ヨーロッパ系の言語を話す人くらいの認識ていたのと同じものなのだろう。そんな経験を経て、その中にいないと、または、入っていかないと見えない、感じないものがあるのだと、思うようになった。
出発前には、とにかく英語を習得して、今まで行ったことのないところを旅したり、日本ではできない経験をしたいとしか考えていなかった。だからいろいろな国から来ていたクラスメイトと過ごす時間はとても興味深く、楽しかった。また毎日なにか新しい発見のある海外での生活に夢中だった。
そんな日々の中、クラスメイトたちとの会話を通して垣間見た、語学学校に来ることになったきっかけや、彼ら彼女らの自国での生活、語学学校を終えてからの未来の話。
大学の休みやGap Yearでバケーションを兼ねて、英語の勉強とオーストラリアでの生活を楽しむ予定の人たち。ある人は英語学校のあとオーストラリアの大学に進学する予定で、ある人は英語を身につけて自国でのキャリアアップをする予定でいた。またある人は英語を身につけて、内戦の続く国々を助けるNGO関連の仕事をすると語っていた。また別の人は自国での生活が合わなくて、混乱の続くアフガニスタンや中東の国々を旅行して、オーストラリアへ来ていた。年配のヨーロッパ人のクラスメイトたちもいて、彼ら彼女らははオーストラリアでのゆったりとしたセミリタイア生活を楽しみながら、生活に必要な英語力を上げるために学校にきたと言っていた。
自分の考え、好み、将来、夢や希望を、なんの衒いもなく話すクラスメイトたち。そんななかで、また私はいったい何をしたいのだろう、と思いを巡らせた。日本でのそれまでの生活とは違うことがしたくて、海外で生活すること以外はなにも考えていなかった。実際に海外で生活をはじめてから、毎日が自由で楽しくて、日本へ帰ってからの心配をする気すら起こらなかった。
しかし私の人生初めての休暇が半ばを迎えた頃、日本へ戻った時のために、何か成果が証明できるものとか、明確なことをやらないと、という現実的な思いがようやくでてきた。でも日本へ帰るときの事を考えると、急に憂鬱になる自分がいることに気がつきはじめた。
(続く)