大事なものは目には見えないようになっている
ちょっとこういうお話が苦手な方もいるかもだけれど、私が子どもの頃は、トイレは汲み取り式で、借家に住んでいると絶対どこかから糞尿の香りがしましたよね。
でも、それが当たり前の暮らしだと、「く、苦しい」とか、「く、臭い」とか、思わないんだね、当たり前だから。
憧れの水洗トイレが手に入ってからです、その展開は。
昔、ウォシュレットが出始めた時に、有名になったコピーに
「おしりだって洗って欲しい」
っていうのがあったと思うけど、「洗って欲しい」なんて、どのおしりも言ってなかったと思うよ、汲み取り式が当たり前だったときは。
つまりウォシュレットが出てきた途端に、おしりが汚いものになっちゃったっていうことですよね。
なんでこんなことを書いているかというとね、
今日、朝のぼんやりしていた頭で、娘と日課のEテレをみていたらね、今日はシャキーンじゃなくて、「マチスコープ」だったんです。笑
で、今日のマチスコープがフォーカスしたのは、マンホールの下の「下水道」でした。
下水道が、我々のトイレとつながり、どのように川や海に流されているのかを子ども番組らしく解説するのを、起きたばかりの頭で、ただボーッとみていたら、
私、本当にね、これは冗談でもなんでもなく、
あ、ありがたいな・・・
ってしみじみ思いました。
下水道を生み出してくれた人、工事してくれた人、パイプやくだ、そこを流れる水、せっせと分解してくれる微生物、その水を受け入れてくれる川や海。
今日のマチスコープの主人公が最後に言ってた
「下水道を通じて、世界がつながっているんだね!」
っていう一言に、感動がノンストップです。
伏線はあってですね。今暮らしている実家の近くには、汲み取り式のおうちがまだたくさんあって、そこから、夏が近くなるとかなりの臭気がするんですよね。
最近は、窓を開けると「うっ」てなるときもあって、嫌だなあ、水洗にしてくれよ、なんてぶつぶつ脳内で思っていたりしたんです。
だけどね。
下水道を使わないっていうことが、もしかしたら貢献できている世界があるかもしれないとも、思った。マチスコープを見て。そしたら、あの臭いが、あんまり憎たらしいものではなくなっていた、というオチです。
瀋陽の農村では、大地に向かって放つことの爽快さを知っていたはずなのに。土に放てばにおいもほとんどしない、という自然の偉大さにも感動してたはずなのに。
大事なものは、目には見えない。
目には見えないものが認識できると、目に見えるものごと以上に、自分を成長させてくれるきっかけになったりする。
大事なものは、目には見えないようになっているのかも。
私たちは、下水道でもつながっているっていう、このありがたい社会、ありがたい時代、ありがたい今に、感謝します。