今更ですが、ハッピー・マニア
漫画というものを禁止される子供時代でしたので、わたしが読んだことのある漫画本って本当に「ちびまるこちゃん」とか「ドラえもん」くらいです。少女漫画はエロ本、くらいに思ってました。正確には、そう思い込まされていたといいますか。
あんなもん読んだらバカになる、と顔をしかめて母親がいうその裏側に、あんなもんお前には早い、っていうのがあったのかもしれません。胸キュン要素多めの「りぼん」や「なかよし」すら、わたしはほとんど読んだことがない。中学生の時、唯一友達付き合いで読んだ、いくえみ綾先生の『ホットロード』は淡い思い出が残っています。こんな彼氏欲しい・・みたいな。
まあ、そんくらい。特に思い出がありません。
昭和の幻想からやっと離れ、自由の身となった平成10年ごろから自分の意思で漫画に触れ始め、ああもっと読んできたらよかった、と思いました。
編集者として仕事を始めると、紙ものの作品に触れないわけにはいかないわけです。新卒で入った出版社で、漫画喫茶に入り浸るという雑用が回ってきて、世の中に漫画本ってこんなに溢れていたのかと驚愕しました。
その時に熱心に読んだのは『犬夜叉』とか『デスノート』とか『NANA』とか。まあ、流行りを押さえながら、自分の精神年齢にあったものを。もっといろいろ読んだと思いますが、惹かれるのは置き忘れてきた胸キュンのある青春を思い出させてくれるもの。
大好きすぎた編集者の先輩からは、もう少しディープな漫画の世界を教えていただきました。萩尾望都先生の作品や、手塚治虫の名作、あれ、『BANANA FISH』にハマったのはいつだったんだろう・・・そして上村一夫先生の『同棲時代』に感銘を受け、
漫画には、男女のそれだけではない何かが蠢いているのを感じました。
コマからコマへ、ページからページへ。テンポが変わり、セリフが飛び出し、擬音語擬態語が動き、それを追いかけているうちにストーリーがわかる。
活字を読んでる人の方が賢そうに見えるけど、漫画を読んでいる人の方がセンスが良さそうに見えました。わたしは、センスが良さそうに見える人になりたい!と思いました(なれなかったけど)。
漫画をいろいろつまみ食いするうち、自分が好きだな、やっぱり天才だなと思える好みもわかってきます。
その一つが安野モヨコ先生の作品。『働きマン』は世代も職業もまんますぎて、どハマりしましたし、『さくらん』で描かれる女性優位にも思えるエロに、男子のように興奮しました。
女、という生きものの、図鑑のようでした。
自分の20代を、時々思い出します。自分の、情けなくて冴えない、貪欲さのかけらもないのに女としては成熟期を迎えてしまっている、悲しい時代のことではなくて、安野先生の漫画にハマっていた自分を、ですね。
憧れたんだろうなあと思います。あんなふうに、漫画の中で、仕事にも恋愛にも、貪欲に、のたうち回っている主人公に。馬鹿って思われても、実際馬鹿でも、女であることをもっと、謳歌したい。
そんなふうに思うほどには、自分の身も心も持て余していたんだろうと思います。
というわけで、先日ジブリっ子の娘とTSUTAYAに行ったら、『後ハッピーマニア』とかが目にポーンと入ってくるわけです。
45歳、タカハシに離婚を切り出されたカヨコ。
ああ、もう何もかもがビンゴすぎで、たまりません。自分のことなのでしょうか。まあこんなふうに、わたしの漫画人生は乏しいだけなのですが、安野先生の作品に触れると、今という青春を思い出す、みたいになっています。