見出し画像

顔の見えるところで、支えあう

クラウドファンディングが当たり前のようにあり、SNSも網の目のように広がったとき、私たちの中の「困っている人の力になりたい」気持ちも、細分化したと思う。

以前は、テレビや新聞で目にする、一握りの勇気ある人たちの「移植手術のためにアメリカに渡りたい」だったり、「社会的養護のもとで暮らす、孤児院などの子どもたちへ支援を」だったり、自然災害などで避難所生活が続いている人へのボランティアだったり。

その度に、「力になりたいな」と思っては、寄付や物資を送ってみたりすることで満足してきたけれど、今はそれさえもちょっと違う感じ。

力になりたいな、と思うその方向は、より身近で、なんなら顔見知りで、事業の社会的インパクトや当事者のお困り感なんかは以前のそれらと比較にならないくらい小さくても

「私でよかったら!」

と、手を挙げて気づいてもらえる距離感が、この頃の支援のあり方だ。

遠くですんごく困っている人よりも、身近にいるあの人やこの人の声に反応したい。そんな人が増えていると思う。

コロナが始まってすぐだったかな、人が動かなくなったことで事業が立ち行かなくなった企業や団体、個人さんからの「助けてください!」クラファンがあちこちに乱立した。

どの「助けてください!」にも答えたいけれど、でも個人の支援なんて、全部に反応していたらこっちが破産してしまう。だからこそ、役に立てる実感が得やすい、身近な人の「助けてください!」に反応するようになった。

結局、応援したいかどうかなんて、お困りごとの大小なんかではなかったのだ。

クラファンやSNSが身近になったおかげで、当事者はメディアに取り上げられなくてもどんどん発信しやすくもなった。それだけ、私たちは身近なところに課題を発見できるようにもなったということ。つまり、課題の身近にいる自分を感じられるかどうかが、応援したいかどうかの分かれ道でしょう。

自分や、周りの暮らしや生活環境を無視して、大きなうねりみたいに惹きつけられる「悲しみ」や「怒り」「おかしい」という違和感の声をあげなくても、ほんの数歩先に、身近な課題が転がっているよ、とも言われているような。

自分の心の小さな反応、例えば「この人のこと、好きだな」「格好いいな」「応援したいな」を頼りに、いつでも誰でも力になれる。たとえ今は応援できなかったとしても、巡り巡ってベストなタイミングで「役に立たせてもらえて、ありがとう」「こちらこそ、ありがとう」と言えるような、近距離の支援が、今はもう成り立っているんだと思う。

認定NPO法人ホームドアも、その一つ。ご縁をいただき、代表の川口加奈さんを取材させてもらった。

静かに、自分の言葉で、真っ直ぐに語る言葉に、独善的な匂いは一つもしない。ただただ、等身大のまま、二回りも世代が違う人たちと、自然にやりとりしているんだろうな、と簡単に想像できた。

ホームレス問題に絡む偏見や差別。最近は、高齢者のみならず10代、20代での路上生活者からの相談も増えているとか。

ホームレスを生み出してしまう社会の構造を変える。「失敗しても、何度でもやり直せる社会へ」。ホームドアは、単にホームレス状態の人をゼロにすることを目指しているのではない。失敗してもやり直せる寛容な社会づくりへの足がかりなのだ。

応援したいと思える人や団体は、こうして増える。それは、私にとっては、その企業や団体を支える、力強く事業を推し進める、生身のひとの声が聞こえた時。

ホームドアではさまざまな形での寄付を受け付けている。関わり方はこちらのページに詳しいのでぜひチェックしてみてください。

個人的には既にあるものを循環させるこちら、春の引っ越しや異動にピッタリではないかと!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?