ことばの標本(9)_「俺らこんな村いやだ」
「俺らこんな村いやだ」
(「俺ら東京さ行ぐだ」 歌・作詞・作曲/吉幾三)
ゴールデンウィークの、おそらく私にとってのハイライト!
今日は、音楽を通じて地域活性化にもものすごく尽力くださっている、地元のライブハウス「ジャンドール」のみなさんと、愛媛県西条市にある日本有数の棚田がある千町(せんじょう)に行ってきた。
ただその景観を生でみたかったので、「何かのついでに!」とお願いして、目的のあるみなさんに、のこのこついて行っただけのことである。
あいにくのお天気ではあったが、棚田が緩やかに広がっていく麓の景色、小鳥の囀り、集落のみなさんとの出会いなどで、もうたまらん癒された。
愛媛県史によれば
この集落は戦国時代土佐の長宗我部の輩下にあった豪族伊東(現名伊藤)近江守祐晴が土着し、開発したと伝えられ、現在加茂川流域に居住する伊藤氏はその一族郎党であるという。集落内の近江神社は伊藤氏一族の氏神として祭られている。
愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)
というわけで、我らがジャンドールオーナー、伊藤氏はこの集落を切り開いた祖先たちの末裔かもしれず、
なんでも言うこと聞くつもりで軍手とかも一応持っていったのだが、ただただ散歩やおしゃべりに癒され、帰ってきた。
小学校跡地や村の神社など、新参者としてご挨拶すべきところをまわってくださり、ときおり頭上の山々や、眼下に広がる棚田を眺めては、
ここは本当に天空の城のようだなあ・・・
と思ったりした。
静けさ、自然、農作業に勤しむ人。とにかく全て美しい。
さて散策の後半、この集落に暮らす方をまじえて話していた時、「若い頃はこの村を捨てて都会に出た」という話がぽろっと出た。
いつのまにか、それを意外な気持ちで聞いている自分がいる。確かに過疎が進み、ここにはもう高齢者を中心に暮らしている人は少ない。若い世代は市街地に家を持ち、週に何回か登ってくるのだという。
「いやでしょう、こんな何もないところ。♫俺らこんな村いやだ〜♫ってね」
吉幾三の歌の世界が、こんなにリアルに感じられたのははじめてだ。冗談ぽく笑うその笑顔の裏に、嫌さの本気度が現れていたような気がしてはっとする。
日本が経済的に豊かになり、山の麓にばかりいろんな娯楽や快適さがあふれる。山道に閉ざされ、お天道様と生き、農業しかやることがないかのようなこの場所は、好奇心溢れる若者にとっては………?
最盛期には800人ほどが集落に暮らし、2500枚とも3000枚ともいう日本有数の棚田が、陽光に照らされ生き生きと輝いていた時代。
私がもしここで生まれ育っていたら、やっぱり同じことを思ったのだろうか。そして、本屋も映画館もない村が、「美しい」と思えるのは、わたしが部外者だからなのだな、とも感じる。
「暮らし」というのは、「美しい」とは別世界にあるもの、なのかもしれない。
だけど、千町全体が見渡せる航空写真を見せてもらったとき、また違った感想を持ったことも追記しておこう。
その航空写真を見たとき、わたしはここを切り開いて定住しようとした人々の根気と情熱、そして「好奇心」を感じたのだった。
勾配のある山深い場所を開墾し、石積みの棚田をつくり、人々が暮らしていける環境に整えていくことは、決して美しい話ばかりではなかったはず。
でも人々が、ただ現実的な暮らしだけを見て開墾したのだとしたら、
これだけの美しい棚田が作られることはなかったのではないか、と思ったのだ。
人々の好奇心が、この奥深い山での暮らしに魅力をもたらし、「こんなところで!」と思われるような場所の可能性を、切り開いたのではないかと。
(余談)伊藤氏を中心に、千町で何か新しいことを始めようとしている「千町2500」という動きがあるらしい。失われた棚田はいかにして蘇るのか?! Instagram、ぜひチェックして見てくださいね。