「私、才能ないかも」ないからこそ、私は私らしく精一杯やるだけ。
武蔵小杉の駅を歩いていて、ふと不安になった。
「私、才能ないのかな」。
文章を書いて生きていきたいと思った時、思い浮かんだのはどこかにライターとして所属することだったから、まずはそこに、応募した。
「ライター募集してますか?」
「コピーライターの募集、まだ枠ありますか?」
「トラベルライターの一次面接、行けますか…?」
いくつかのサイトで、ライターという肩書をもらったあと。無我夢中でいくつかの記事を書いて、2ヶ月、3ヶ月くらいが経った頃かな。
私、才能ないかも
ってふと思った。書いたものに自信がない。おもしろいと思えない。誰でも書ける。何が違うの? 私じゃなくたって、いいじゃない。
誰かの真似をしたくなったり、やっぱりきちんと学びたくなったり。
書いたものを世に出すのが怖くなって、一歩踏み出してみたからこそ垣間見える、奥が深くて、すごい人がたくさんいる世界。あぁいやだ。どうすればいいんだろう。私、才能なんてないんじゃないかな。
すごく、逃げたくなったことがある。
2014年の、春。
数メートル歩いて、ぱっと視界がひらけるような、当たり前の事実に気が付く。
「そうだ私、才能なんてなかった」。
至極当然の、誰にでもわかる明白な事実。何を勘違いしそうになっていたんだろう。逆に恥ずかしくなる。
才能なんて、なかったから今私はまた再スタートしたいと思ったんだ。これまで努力してこなかったことを、悔いてもきっと仕方がないから、少しでも前に進むために今度こそ牛歩でいいから進まなきゃ。
才能なんてないんだから、私は私の武器を作らなきゃ。ニッチでも、狭くても、なんでも。私は私の色を出すことが、(最初は色が薄くても)たぶんきっと、だいじ。「こういうのがおもしろいのかもしれない」「これがきっと、たくさん読まれる」私はその思考でぶつかっても、本当にすごい人には一生叶うはずがない。まずスタートが遅いんだもの。やってる人は、もうずっと前から、やってる。
何かを何かでカバーできない分、目の前のことを一生懸命、一つひとつ丁寧にあたらなきゃ。文章なんて、日本人は全員が書けるんだから、私にできることは、日本語を間違えないことと、少し目線を変えることと、素直な気持ちを綴ること。あと締切を守ること。
そう思って書いた記事を、誰かが少し認めてくれる。これ、同じようなものをこのテーマで書ける? これは? こっちは? ほかの分野だと、どんなになる? 少しずつ仕事が増える。ジャンルが変わる。入り口は、私の興味関心から少し遠かったところもあるけど、時間と共にちょっと近づいていく。も少し粘ると、かなりの率でもっともっと、重なってく。
そしていつか、私は私の想像していなかった世界に興味関心を持って、私は私の気持ちと一致する。
遠回りな道は、きっとない。遠回りかどうかは、着地してみないと分からない。最初から「これがやりたい」なんて多分ムリ。いや、才能があれば別かもしれないけれど、私はないから、少し「あれ?」って思うとこでも、いわゆる方向が同じなら、それでいい。
才能なんてない。才能ってなんだ。才色兼備ならなりたいけれど(?)、才能ってなんだ。
もとから持って生まれた適性や「気が向く」ことを、まるで髪の毛に縮毛矯正をかけるように、無理矢理にでも正していくことは多少なりともキツイかも。でも、もとから持って生まれた適性を「自由に」「そのまま」伸ばしてみてあげることを自分に許せば、人生の風向きはちょっとだけ角度を変える。
才能なんて、きっと多くの人にない(といったら間違ってるね)。少なくとも私には、ひとつとして浮かばない。強いて言うなら、自分がやりたいと信じたことを、頑なに信じてあげることくらい。
そしてそれを、「いいんじゃない(苦笑)」と言ってくれる人が、周りに数人いたか、いないか。
***
才能がないかもしれない、と落ち込んで、家に引きこもりたくなって、誰にも会わない、会いたくない、私はもうこのまま家にいて50歳を迎えるの、と2015年冬に思った。でも、そんなことできるわけない。私は「家にずっといる才能がない」から。
そういう才能ならある。ええと、あとはスキンケアが大好きで、ボディケアが大好きで、毎日欠かさないことと言えば、どんなに酔っ払って帰ってきても、ドライヤーで髪を完全に乾かしてから寝る(オイルケア付き)とか、そんなもん。なんだその才能……。
サイノウ。なんか変な単語に思えてきた。
才能がないかもしれない、と落ち込んだら、もう少しだけ、頑張ってみて。一度始めたことを自分の"飽き"以上に続けたら、あなたはあなたが思っていたより少し先の道が、きっと数ミリ描けるようになる。
続けるということは、すでにひとつの才能だから、嫌でも何でも、目指したいならやってみて。「才能がないかもしれない」と尻込みして進めないのなら、「私にはもとから才能がないのだから」と、怖がらずに進んでみて。だめだったとしても、「だって私には才能なんてはじめっからなかったものね」と言い訳が立つじゃない。
続けることが難しければ、私のように尻を叩いてくれる人を見つけてみて。誰かと一緒に何かができれば、それだけで続ける理由になる。
……何の話だったかしら。武蔵小杉駅の話。
「才能がないかもしれない」と落ち込んだら、「当然なかった」という結論に至った話。逆に元気出た。
あれから2年。また今年も、春がくる。
■参考:「才能」と検索したら一番最初に出てきた記事
「才能」とは何なのか。それは「認知特性」です。さぁ、「風鈴」を想像してみてください | まだ東京で消耗してるの?
※ちなみに私は風鈴の映像派です
■ライター・編集云々についてはこちらで書いています
編集女子が"私らしく生きるため"のライティング作戦会議|Synapse
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