空っぽになった手で、新しい何かを掴もう【オーストラリア→ニュージーランド】
離陸する瞬間、隣に座る韓国人の女の子が「うわぁ」と息を飲むのが伝わってくる。時は夕暮れ、黄昏時。速度を上げて飛び立つ飛行機、向かうはニュージーランド、クライストチャーチ。
窓の外の空気は乾いていて、終日晴れていたその日のからりとした雰囲気をまだ残していて、それでいてふわりと肌にやさしい感触がした。
チケットを見せてと笑ったCAが、今度は飲み物はいかが、と私の席にやってくる。
飛行機の下広がる、ゴールドコーストの街並みと夜景。飛行機の中で、時差が一時間開くのを見る。飛び立ってすぐに、クイーンズランド州からニューサウスウェールズ州に入る。
どんどん、どんどん時間が変わっていく。絶対の権力を持っていた「時間」という概念が、ゆらり揺らいで、「普遍」でなくなっていく。
すべてが、すべてがそうだった。
「私は頑張らねばならない」
「私は、何か結果を出し続けていかなければいけない」
そういう時期も、必要だった。
けれど、21歳の時に彼女が言ったみたいに、私には「今を認めてあげる力」もそろそろやっぱり必要なようだった。
「好きなことをして生きて」きた。
けれど今度は、「誰かに喜んでもらえる」ことがしたい。
私には、これから何ができるかしら。何を、しようかしら。
少し空いた手で、これから訪れる未来を掴もうとする、空の上。
「空いたスペースに、何か必ず良いものが入ってくるから」と、10月のその日、大好きな黒髪の先輩が私に伝えてくれた。「そうかもしれない」とあの日から、私はずっと思っていた。
キツキツに詰め込まれた私の暮らし。ふわり留め金を外して、さぁどこへでも行ってしまいなさい、と多くを手放した秋の日。悩んだ夏の日。心決めた、いつか。
過去には何も用はなかった。「通り過ぎてきた」だけの道筋。
さぁそろそろ、頑張ってきた私を認めてあげよう。自信がないないと言ったって、やってきたことは認めてあげなければ、もう一段高くは登れない。
よく、ライターになれたね、と言ってあげよう。
よく、編集者になれたね、とも言ってあげたい。
世界を旅しながら、本を書くという仕事を、その手に掴むことができて
次の夢を掴む準備が、そろそろできたんじゃないかしら
「何も考えてない」と言ったって、じっくりゆっくり、イメージは作ってきた。
あとは選ぶだけ。決めるだけ。進むだけ。やってみるだけ、やってみればいい。
「残りの人生で、一番若い」のは今だ。
私たちはどこへだって行けるし、何だってできる。
「できないかもしれない」と決めているのは多分自分。さぁプライドはぜんぶ捨てて、「何をしたい?」
イメージできることは実現できるから
空いたスペース、すぐに何かを詰め込まないで。余白にきっと、遊びにきっと、楽しい滑り込みはやってくる。
とりあえずニュージーランドを旅したら、会いたい人に、会いに帰ろう。私が生まれて育った国。日本。すこしだけ、懐かしい。
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これは、2016年12月に書いた下書きのnoteを、2018年1月の私が見つけて、ふと公開したくなって公開した、昔の記録、です。
懐かしいな、また自由な旅に、出たい、そろそろ。ふつふつ。湧き上がってくる。久しぶりに取り戻しそうな、あの旅人の熱。
けれど振り返っていつも思うけれど、私は口では大きなことを言うくせに、心はいつも、いつも揺れ動いているのだなぁ。しっかり、しなきゃね。
遠い、空の向こう。行けども行けども、進めばもう一度この場所へ戻ってくる。きれいな螺旋。振り向いたときには、もうあなたはそこには居なかったり。居たり、する。
片道切符の、気ままな。ふらり、ゆらり。空気と天気に身を任せて、偶然の出会いが私をもっと遠くへ連れてゆく。解放感。好きだった。あの夏風、恋しい。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。