聖域だった、青と白の物語のような街の中【モロッコ・シャウエン】
カチャリ、と鍵を開けて、屋上へと続く階段を登っていく。一段、二段、青い階段と手すり、白い壁、またたく星。
ざわり、と透き通る風吹き抜ける。この風はどこからきたんだろう。山の向こう、昨夜珍しく降った雪、冷たく頬染めて。
もしここに海があったなら、私はここへ住んでみよう、と今日決めていたかもしれない。人生に疲れたアラサーの女性よ、すべて一度はここへ来るというルールでもあればよかったのに。
日本を出て9日が経とうとしていた。ふわり、心、浮き立つ。自然と、笑える。そんな日々を取り戻そうと、今まさにしていた。いや、きっとここへ来たから。
アブダビよりも、マラケシュよりも、フェズよりも。ここは空気がきれいな気がしていた。深呼吸ふさわしく、人少なく、青く、白い。
昨日の夜から今日の昼過ぎまで、あいにく雨は降り止まず。けれど私には言い訳のようなやることがあったし、せめて雨でも降らなければ私は歩みを止めることがないと思うから。じっと雨見つめながら、原稿を書いて、ノートに文字を書いて(私はよく、色々なことに迷うとノートとペンを取り出して気持ちを形にする)。ほかにやることは、やりたいことはなかったのだっけと、過去と未来を行ったり来たり。
まだ薄もやの中で、雨、すべて流してくれればいいのに。
この道の先、何があるのだろうと思ってずっとずっと、進んできた。先の見えない曲がり角、坂を登りきったときに見える景色、あの壁の向こう、あなたの隣に座った時に、見える景色、感じる温度。
その先を見たって、求めているものは何もない。美しい景色と、街のおわり。海か、緑か、違う街か、違う国。境界線はあってないようなもので、行き着く先はいつもいつだって「ここではないどこか」のよう。求め続けてやっと分かった、「ここではないどこかで生きる」と覚悟なければ、いつの間にか足場なくして帰る場所を失ってしまう。帰る場所があるから旅ができるのだと、旅さなかにいた夏の私、言っていた。
■帰る場所のない旅はできない。|伊佐 知美|note(ノート)
夢叶えたあとの世界、地図なくして霧の中、これからどうやって生きていこうという疑念でいっぱいだった。信じていた未来、去年の秋になくしてしまったから、自分から手を離してしまったから。後悔はしてないけれど、それでも折に触れるたび、どうしてだっけと反省せずにはいられなかった。
けれどふと。なければつくればいい、とシャウエンの青い街歩きながら久しぶりに思い立つ。笑えそうだと、「疑念」が「希望」に変わりそうだと、もう少しで大丈夫だと、私が私に言えそうな。
次の角を曲がれば、見晴らしの良い丘に出る。羊やヤギ、犬や猫、人の声、風の音、クロアチアに似た山肌持つ稜線の美しさ、遠くに沈む夕陽、誰も私がここにいることを知らない、ここにいてもいい、いなくてもいい。
空の色変わっていくのを見るのが好きだった。朝も夕も、夜も明け方も、いつだって緑が風に揺られているのを見たかった。見晴らしのよい場所がすきだ、と誰もが同じことを思うのか。この丘上がれば、いつかきっともっと高くまで行けるのだろう。
ないものはないのだ。過ぎたものも戻らない。つくりたい未来は、目指さなければ輪郭すら描けない。描け、と義務か命令のように思っていた。ちがう、きっと、もう少しで、自然と浮かんでくる。薄もや晴れそうな気がしていた。100年前まで聖域だった、青と白の、物語のような街の中。